人生お金がすべてなのか問題 | 止揚。(旅ブロその他)

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(たまーに更新)

人生お金がすべてなのか問題

 

というのは長らく自分のなかで考え続けている問題ではあります。

 

先立つものはお金です。全くその通り。

 

お金を軽んじている人間は偽善者だ、とまで言う人もいます。

 

日本では厳密には仏教も神道もあるが宗教的には基本的に”無宗教”と少なくとも「自己認識」している人が多数派です。

 

なので「お金」という即物的なものに生きがいを求めるということになりがちなのかもしれませんし、ある意味お金が宗教の代替とも言えなくもありません。

 

ただ、何のために生きているのかというのは人それぞれだし、そもそも”人それぞれ”以前に、意識的に目的的に「何のため」という自己認識を確固として持って生きている人間のほうが、実は少数派なのかもしれませんが。

 

何のために生きているのか

 

ということが

 

人生お金がすべてなのか問題

 

と密接にかかわってくる。

 

結局「何のために生きているのか」というポイントをしっかり押さえない事には、人生お金が全てなのか問題は解決しないでしょう。

例えば熱中症を制御するためには水と塩分がすべてです、というような、ある限定された枠の中で、この枠の中では××が全て、というふうにしないと、枠を決めないとその中で何をするために何が必要なのかという議論が成り立ちませんので。

 

本題に入るとお金があれば例えば東京庭付き一戸建ても買える、BMWも買える、20万円のiPhone14だって買えるし、何なら異性も。

学歴もある意味お金と密接に関わっている。子供を良い予備校に行かせるお金があれば必然的に偏差値だって高くなる可能性は上がる。

お金があれば人生は豊かになるのは間違いない。

 

ただなぜ「いろんなものが買える」必要があるのか。

結局そこに生きがいを求めているからではないでしょうか。

世の中には要約できないものごとはありません。

 

庭付き一戸建て

BMW

iPhone14

 

これらすべて要約すると豊かな生活=生きがいということでしょう。

「生きがい」という言葉が嫌ならば「幸せ」でも「豊かさ」でも構いません。

だからお金があれば生きがいが満たされる=人生はお金がすべてだ

という結論になるわけです。

 

ただここで横槍を入れると、

 

「お金がなくても私は生きがいを感じています」

 

という人が現れたときに、それに対する反論ができない、ということです。

具体例をひとつくらい挙げないと説得力がありませんね。

 

例えばわたくし。

 

お金はゼロではありませんが、それほど持っていません。けれどもやりたいことやって生きているので生きがいを感じています。

 

つまり生きがいに対するアプローチが実はお金とは別に存在している、ということです。

 

それはお金そのものを否定しているわけではなく、お金とは別のやり方もあるんだよ、ということです。そうするとお金というのは目標ではなくあくまで手段だ、という視点が立ち上がってきます。

 

目標と手段を混同してはいけません。

 

人生お金がすべてだ、というのは、的を射ている部分とそうでない部分の両方を包含しているとわたしは思います。

 

お金で得られる生きがいはたくさんあるが、お金で得られない生きがいもある。だからお金によって豊かになった人は、お金がすべてだという結論で正しいし、そうでないアプローチで生きがいを得ているならば、それはそれでよし。

 

というのが現在の結論です。