女ってのはな(男が)グイグイ引っ張っていくもんなんだよ
と言っていたオヤジがいたが
問題なのは何をどうグイグイ引っ張っていくかではないか
車だってアクセルをグイグイ踏み込んでいったとしてもハンドルの切り角を誤ればどこかにぶつかる
逆にハンドルの切り角が正しければ少ないトルクでもいずれたどり着ける
むしろ力より方向性の問題なのではないか
きちんとアクセルとブレーキを踏み分け、しっかりと両手でハンドルを握って生きていきたいものである
しかしそのオヤジの発言を取り上げるとすると
俺は20才で結婚して24才で家を買った。お前は何歳で結婚するんだ?
〇〇は30才までに結婚したいって言ってたぞ。お前もモタモタしてたらすぐに30才になっちまうからな。
というようなことを発言していた。
僕はそれらの言葉を抑圧的で傲慢な言葉のように感じた。
自らの身の上と他人の身の上を比較し照らし合わせる。そういう場面というのは特に珍しいものではない。
しかしこの男の言葉には何かが決定的に履き違えられているようなニュアンスを感じた。
世の中には笑ってごまかせるタイプの物事と、笑ってごまかせないタイプの物事が存在する。
この男との間のやりとりは、後者のタイプの物事だった。
辛いことを笑いで吹き飛ばしてしまう。そんなことは僕にはできなかった。辛いことは辛いこととして正面から受け止めて、それを自分自身に対しても、あるいは他人に対しても、辛いこととしてしか表現できないし、辛いという態度を取らざるを得ない。
そしてこの男が時折口にする男尊女卑的な発言には、人間の度し難さを世界中からかき集めてきたような、“やりきれなさ”すら感じる愚かしさを垣間見た。
それは僕が会社を辞めた後もいつまでもいつまでも僕の記憶に残り続け、ある時にはシャワーを浴びるときに、ある時にはトイレで気張っているときに、ある時には寝付けない寝床で、いつも耳元でこの男の声がささやき続けていた。
この話を誰かに話したとしても、誰かに打ち明けて共感されたとしても、どうやっても救いようがないのではないかという気がしている。