海辺散歩の間に~あの澱みに抱く違和感について | cafe bosatsu『chika*s diary』

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5月吉日


夕暮れ後の海。













 波の音 

キャンプで集う人たち 

カフェの灯り

 たき火の匂い

 五感が満たされ、整いました😊 



 海辺にはキャンプ場が併設されていて、車の前後にテントをはったり、BBQをしたり、そのまま車中泊ができたり、今までの大がかりなキャンプスタイルとは違い、ずいぶんスタイリッシュになっているんだなぁ~と、

遊歩道を歩きながら、横目でチラチラ楽しそうな雰囲気を味わいました🙂 


 ふと見るとハマナスが咲いていました。




 夕方の海散歩が気持ちいい季節になりました。



私は、たいして植物や自然に興味を持ってはいなかった。

4、5年前からかな。海に行ったり、花を見に出かけるようになったのは。


それはやっぱりコロナ禍の影響が強くて、家に籠らなきゃならない閉塞感に耐えきれず、一人ドライブと散歩を楽しみにしていたのです。


それが意外と自分に合っていたせいか、心地よくて、最近では、海辺を裸足で歩いたり、わざわざ花の名所に出掛けたりするようになりました。


そういや、子供の頃から田舎育ちで、

裸足で野山をかけまわったり、葉っぱや花の蜜吸ったり、シロツメクサやおおばこ、笹の葉、松の葉で遊んでたり、


絵を描くことは日常だったけど、それより日が暮れるまで外で遊ぶことが好きだったし、


学生の頃は、美術や音楽も好きだったけど

実は生物学が一番好きだったり。


なんてことをいろんな事を思いました。


グラウディングとか、アーシングとか、

言葉にするとかっこよく聞こえるけど、

単純に、「ただ、人と自然って繋がってんのかな?」と思います。


自然のすごいところって、

「感情がクリアになって、本心に嘘をつくのが難しくなる。」

ということも最近感じているところです。


自分が感じる違和感。

もうあの澱みには戻りたくない。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」


そんなことを思ったりします。