長野歴史紀行~④松代編 | すずろ記

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2013年4月1日よりタイトル変更しました。

善光寺のある長野駅周辺から、

30分ぐらい走ったかな…

長野駅から南の位置に松代はある。


まずは、

太平洋戦争の遺跡といわれる

像山地下壕。


130609像山地下壕01

戦争末期、ここに地下壕を構築し、

大本営、仮皇居、政府機関を設ける計画があり、

地元住民は強制立ち退きさせられ、

日本人だけでなく、朝鮮人も強制労働を強いられ、

危険な掘削業で、沢山の方々が犠牲になった。


130609像山地下壕9 


中は圧巻!!


よくもまぁこんもんを掘ったね~

130609像山地下壕05 

完成を持たずに終戦を迎え、

天皇さえ訪れることなく、

結局、骨折り損のくたびれもうけ。。。


たくさんの方々の苦労も報われず。


一本だけのただの洞穴かと思ったら違った。

碁盤の目のように何本も掘り、

その姿を見ただけで、

本当にその苦労が偲ばれる。

130609像山地下壕map 


つくづくこの戦争は無謀だった。

そこには幕末や戦国時代のような、

個人の大義名分など微塵も無く、

ただ虫けらのように死んでいかなければならなかった人々を思うと、

なんともやりきれない。

後世の私たちは、こういう残された"残酷"な爪あとを訪れ、

二度と同じことを繰り返さないように、

心して受け止めなければならない。


ここには、深いドラマがある。


浅田次郎あたりが小説の題材にしてくれたら、

感動もんの話ができるだろうなぁ…





さて、

松代といえば、

徳川時代、代々真田家が治めてきた。

真田家は関ヶ原の合戦の時、

東軍、西軍、どちらが勝っても、

家が残るように、当時の当主昌幸は、

長男の信行を東軍、

自分と次男の幸村(信繁)を西軍につかせ、

有名な真田幸村(信繁)は、

大阪・夏の陣で戦死。


そのため、

長男筋の家系が延々と徳川250年間を生き抜いた。



まずはその真田家の菩提寺、


長国寺。

130609長国寺02 

ちょっと変わった姿。


というのも、

図体のわりにはリッパなシャチホコが左右にあり、

まるで鬼の角のようだ。

130609長国寺03 


六文銭~~~!


なんだか寂びれていて、

一応は重要文化財なのだが、

門はちょうつがいが取れかけているし、

敷地内の手入れも行き届いていない。


とはいえ、

今でも現役で、

この日も法事が執り行なわれていた。


そんな雑な環境の中にさり気なく、

とっても古いいかにも貴重な建物があったりする。

130609長国寺06 




しかし、

暑い



晴れ女の威力ここまではいらんわ~



寝不足だわ…

暑いわ…

お腹は空いてきたわ…


さすがの私のトークも冴えなくなってきた。




ちょうど12時となり、


「竹風堂」でランチタイム。

ここは栗が有名なところで、

迷わず「栗おこわ定食」を選んだ。

130609竹風堂01


もうヤバイぐらい美味しかった



ここで活力を取り戻し、

あと半日、無駄なく欲張りに回らなくてはっ!!






前回↓

<<<長野歴史紀行~③善光寺

つづく↓

>>>長野歴史紀行~⑤松代編その2