仮面のロマネスク | ひとりっ子のひとりごと ほぼ宝塚

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感じたことを正直に。
思っていることすべてを言うべきかどうか、考えながら。

朝美絢さんの全国ツアー主演が発表され、演目が『仮面のロマネスク』と『Gato Bonito!』

みなさんそれぞれよろこんでました。


私はと言えば、全国ツアー主演は嬉しいものの、はじめは仮面のロマネスクにも、ガトボニにもちょっと…という感じでした。


が、始まってみれば、そして公演を重ねるごとに、この作品を朝美さんと夢白あやさんで全国まわるのに選んでくれた人(雪P?)、ありがとうぼにーと!!!!!の気持ちでいっぱいになりました!


これは、作品ではなく私の側の問題なんですが、私はどうも理屈っぽくて、主人公や登場人物の言動に共感できないとムズムズモヤモヤしてしまうところがあり、正直宝塚ファンとしての適性が無いのでは!?と思うけどもしばしば…

特に古い作品ほど、はぁ?となりがちでした。

仮面のロマネスクは、原作がラクロの往復書簡様式の小説。

マリーアントワネットも表紙を変えて隠れ読んでいたという…(エロ本をカムフラージュするのによくやるやつ)

そういうお話が元だからと言えば身も蓋もないけど、ヴァルモンとメルトゥイユがしょーもないあれこれの事で頭がいっぱいな時にちゃんと軍人として仕事をしている(アピールだけだとしても、部下に慕われている様子もあるし)ジェルクールが、ヴァルモンより結局選ばれていること(あのうるさいセシルの母親やヴァルモンの元カノとかに)も納得で、逆に途中わちゃわちゃ出てくる使用人や市民たちの動きの意味がよく分かってなかったんです。

今回はじめて、原作とは違って宝塚的解釈を加えてフランス革命後の落ち着かない社会状況と、そこに生きるヴァルモンたち貴族の終わりが見えている時代に気がついて、途中ヴァルモンに対して言われる、立志伝の人、という評価が腑に落ち、彼のこれまでの生き方から今の生き方に繋がる、たとえ正しくなくてもその人が生きていた姿を理解出来ました。


朝美さんのヴァルモンは、圧倒的な身分的な強さと言うより、知略か何を利用したのかは色々ありそうですが没落した家を建て直した貴族という、貴族なんだけどどこかに泥臭いところが感じられ、その見えない部分でアゾランとの繋がりを想像させたりもします。

きっと貴族が足を踏み入れないようないかがわしい場所で出会ってたんじゃないかなと思うとそのサイドストーリーも気になりますし、そういう想像のつきない人物像を作ることが出来る役者としての朝美さんが好きです。


メルトゥイユの夢白あやさんは高慢な美女が良く似合う容貌が完璧ですが、朝美さんとのお芝居のやり取りの中でどんどん進化して血が通った感じになって行ったのがすごいなと思います。ほんとに女優!

メルトゥイユに関しては誰よりもなんやねんこいつは!という人物に違いないのに、時に見せる嫉妬や怒りからだんだん悪女の中のかわいそうな臆病な少女が見えてきたりして…


純白のドレスの象徴的な聖女のようなトゥールベルと踊ったヴァルモンが、情愛のような深紅のドレスで待つメルトゥイユを選ぶ直前、2人の女性の表情の変化がそれぞれすごくて…

これは希良々うみさんもとんでもなくいいから余計に際立つ場面だったと思います。


それから、ダンスニーとの決闘があり、最後に2人だけの舞踏会の場面は、もっとはやく素直になっていればというのも野暮な話で、なれなかったからこそのドラマがある、そのもったいなさが美しさだと思いました。


ダンスニーとセシルはふたりの被害者で同情します。

恨むならセシルのお母さんを恨んでください。

でもきっと今後幸せになれるはず(知らんけど)


フランスの革命はバスティーユが陥落したあとも王宮側と革命政府とで権力が行ったり来たり、本当の意味で自由平等友愛が実現するのには長い年月と多くの犠牲がかかりますね。

そりゃ、ストルーエンセがフランスよりはやい時代に人類平等の権利をと叫んでもうまくいくはずがありません。

でもそれも、未来への1歩として無意味だったわけではありませんよね。

ロベスピエール、ダントン、サンジュスト、ナポレオン、ストルーエンセ、光緒帝に文秀、いろんな作品で革命の時代を演じてきた雪組、次はベルサイユに…

行こう〜!!

(チケット頑張ろう!)