フランスのお家芸は「涜神(とくしん)=神を穢すこと」だが、神はそれ以上の存在であり、いくら穢しても神は傷つかないし、それは「人間が決めた神の概念を相対化しているだけ」なので、本質的には問題ないが、結局「賛美も冒涜もセンス」の問題である。
本質的には、涜神の精神あればこそ「世俗化≒私からすればそれがキリスト教の近代化」できたわけで、人間が勝手に決めた神の概念など一片の多様性の前に葬り去られる。
「無限なる神を、有限なる自分の妄想」に閉じ込める背教者には聖なる鉄槌が下って然るべき。
Aさんが神の教えだと思い込んでいるものに対して、Bさんが「俺の神はそんな教えをクソだと言っています」とお伝えすることは、
・神の無限性
・有限なる価値観の多様性
・貶されることなんて当然にあるという心構え
・それでも俺は一個人として「この考え方が好きだ」という信念
・「やっぱりBさんの考え方も良いな」という柔軟性
などを教えることになるので、本質的には涜神とは非常に良いものである。