神学「昭和天皇が裁かれても天皇は続いていた」 | まあのブログ

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 昭和天皇が戦争責任者として裁かれていたとしても、天皇は続いていた。戦争をして、戦争責任者にされて、裁かれて、それでも尚、それも歴史の一局面として天皇は続いていた。実際に後鳥羽も島流しにされているくらいだし、「間違って戦争責任者として裁かれていた」としても何でもないとも言える。
 仮に明治から今に到るまでの「天皇制」が法的に認められず、公的予算も付けられず、年中行事が蔑ろにされ、ボロ小屋に住んでいたとしても、それも歴史の一局面として天皇は続いていた。近代的政治制度によって認められない天皇は天皇でないとするならば、近代以前の天皇は無かったことになるが、そうではない。
 仮に誰かが私的に養うことになっても、養われる天皇は天皇として続く。時の当局など相対的なものでしかなく、平安朝も鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府も明治政府も滅びたが、天皇は今に続いており、時々の公的機関に認められる必要など天皇にはない。戦国時代は各大名に献金されていたそうで、誰に養ってもらっても続けば良いのである。
 政治的命令権を持っていたことも伝統、兄弟で殺し合ったのも伝統、島流しにされたのも伝統、南北に別れたのも伝統、無理矢理担ぎ出されたのも伝統、戦争責任者にされそうになったのも伝統、象徴になったのも伝統、色好みも伝統、戦好きも伝統。
 理屈にも色々あるが、それら全てを包括して流れているのが天皇。人間にも色々いるが、彼等全てを認めながら生きているのが天皇。
 雑草という草はない。なにが雑草かは分からない。害虫という虫はいない。なにが害虫かは分からない。

神学 「天孫降臨、おのずから、草木国土悉皆成仏」
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