「松山千春、ラリー寿永さんを追悼。故・松原正樹さんや、笛吹利明等のミュージシャンたちを語る。」S11975
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V1.0:2024.3.11 初稿
V1.1:2024.3.11 前半のコメントを追記(追記01)
V1.2:2024.3.12 前半のコメントを追記(追記02)
V1.3:2024.3.12 前半のコメントを追記(追記03)
V1.5:2024.3.12 前半のコメントを追記(追記04)
◼️松山千春、ラリー寿永さんを追悼。故・松原正樹さんや、笛吹利明等のミュージシャンたちを語る。
◆松山千春歴代サポートメンバー
◆2024年3月10日放送の「松山千春ON THE RADIO」
※1980年代前半のレコーディングやコンサートのサポートメンバーだったラテンパーカッションのラリー寿永さんの訃報を受け、
ラリーさんや当時のメンバーだった笛吹利明(松山千春→長渕剛)、島村英二(松山千春→長渕剛→さだまさし・中島みゆき)、故・松原正樹さんたちとの思い出、エピソードを語り、「サンバ」と「長い夜」、最後に笛吹利明がアレンジした「淡々と・・・」がかかりました。
※登場ミュージシャン
01. パーカッション:ラリー寿永、斉藤ノブ
02. ギター(EG):松原正樹、幾見雅博
03. ギター(AG):笛吹利明
04. ドラム:島村英二
05. ベース:長岡道夫
06. キーボード、ピアノ:大原茂人、夏目一朗
07. チェロ:阿部雅士
08. サックス:佐野博美
09. ビオラ:鈴木民雄
----以下関連コメント全文---
さて、皆さん。
漫画家の鳥山明さんが亡くなられたり、また、『ちびまる子ちゃん』の、さくらももこ(の)な、TARAKOさん、声優の方ですね、亡くなられたり。
なんか、あれだよな。
今年に入ってからさ。
1月、2月もそうだけど、著名人の方々がな、結構、亡くなっていくっていうことがあってさ。
特に、あのぅ、鳥山明さん、なあ。
お前、『ドラゴンボール』だろ。
俺は、漫画はさして見てないんだよ。
何故かったら、俺がそのコンサート活動へ!のときに、『ドラゴンボール』なんか出てきたからな。
あんまり「週刊ジャンプ」な、見ることもなかったんだよな。
けど当然、まあ知ってはいたけどな。
同じ歳なんだよな。
これがお前、なあ、何を暗示しているんだろうか?みたいなな、気持ちになるけどな。さて、なあ、今回はな、まあ色んな方が亡くなっていく。
【追記01】
そんななかで、3月3日なんですけど、我々と一緒にコンサートな、あっちこっちへ旅したり、あとはレコーディングでスタジオで一緒にプレイしていたプレイしていたラリー寿永。
俺たちは、ラリーさん。ラリーって呼んでたんだけどな。
所謂、パーカッション。
コンガとか、ボンゴとかな、あとはベルツリー(打楽器)か、チャリーンとか鳴らしたりな。
最高の男だったんですよ。
まあ、「ホントにあんなミュージシャンは、もう出てこないだろう。」ってな、今のミュージシャンとも話すんだけど。
笛吹さん。
これ、アコースティックギターな。
最初の頃、俺、ずっとやっててくれてて、その後、長渕な、長渕のプロデューサーみたいなカタチでな、ずっと関わっている笛吹ちゃんからメールが入ってな。
「千春、ラリーが死んで悲しいな」ねえ。
昔、もう四十何年前だからな、デビューして間もなくのツアーのメンバーだからな。
「サックスの佐野ちゃんや、ドラムの島村、チェロ・阿部、ビオラの民さん、エレキギター・幾見、松原、ベース・長岡、ミッチーだな。そして、アコースティックギターが笛吹ちゃん。このメンバーでもう一回、ステージやってみたいな。皆でよくそんな話をしているんだぞ。」って笛吹ちゃんからメールが入っていて。
俺はね、ちゃんと返事して、
「笛吹ちゃん、ホントにラリーは最高な奴だったね。笛吹ちゃんも、身体、健康に気をつけて、これからもな、いいアコースティックギターを弾いてくださいよ。
いつか皆で会えてコンサートが出きればな。」っていう返信をさせて貰いましたけど。
【追記02】
ラリーは群馬県は館林、なあ。
生まれも育ちも館林。
俺が、う~ん、まあな、今から48年前か。
レコーディングするときにもな、ラリーはな、いたしな。パーカッションとしてな。だから、それから10年近くコンサート、一緒に行ったんじゃないかな。
ラリーさんってよ、ま、パーカッション、ウンパッカ、ウンパッカな。
もう最高なんだけどさ。
なあ、例えば、どっかのコンサートでま、市民会館、県民会館みたいなとこあるじゃん。
そこの食堂でな、親子どんぶりかなんか頼んだんだ、ラリー。
で、「お待ちどうさまでした。」って、出てきて、まあ、ちょっと食べてみて、
「不味い。これは不味い。なあ、これはおかしい。どう考えてもおかしい。」って言ってラリーがですね、その市民会館、県民会館の食堂の厨房に入っちゃいましてね。
自分で親子どんぶりを作り始めたんですよ。
ほいで、皆、唖然としましてね。
まさか、そんなことする奴いると思わんべや。
ラリーはしっかり親子どんぶり作って「やっぱりこれだよ、これ。」
なかなかいないぞ。
そんなミュージシャン。
俺もビックリしたもん。
【追記03】
それとなコンサートをやってる最中な、例えばコンガが入ってきたりな。それとか、なんていうだ、あのぅ木を鳴らすやつな。木と木を合わせてな。
俺も度忘れしたけど、カンカン、カンカンと、いれるんだ。
で、俺が歌ってて、「いや、ここでその音はないだろう」な。
そう思って、俺がばっと後向いてな、ラリーの方を向いたらな、ラリーが手でね「クビ?クビ?」ってやるんだ。
で、俺が「そうだよ、駄目だよ。それは」みたいなな。とにかく楽しいコンサートをずっとやってました。
当時は、まあラリーと言ったらパーカッションの世界ではやっぱりトップだわな。
皆は覚えてないかもしれないけど、アメリカのミュージカルで「ヘアー(Hair)」というミュージカルがな、やってきたときに、日本人で唯一、ラリーがパーカッション叩いた。
これは、有名な話でな、だから、腕は凄いのよ。腕は凄いんだけど、とにかく毎日の生活がチャランポランなやつでね。でも最高に好きなミュージシャンでした。
【追記04】
そんなラリーが亡くなったっていうのを聞いてね、当時のメンバー連中もね、まあ、驚きと悲しみ。
「ああ、自分達もそういう歳なんだな」みたいなね。
ホントに楽しかったな。
大原さんっていうピアニストが、まあ、そうだな、ボスだよな。
で、佐野ちゃんっていうサックスな、ドラムは島ちゃん。
島ちゃんが、また巧いからな。
島ちゃんは年なのに今でも頑張ってるからな(現在、中島みゆき、さだまさしのコンサートをサポート)。
阿部ちゃん。
阿部ちゃんはチェロだから。ねえ、クラシック関係な、なんせお母さんが世界で有名なフルート奏者、なあ。
そのぅ俺も名前忘れちゃったんだけどさ、「阿部ちゃんのお母さんは世界的なフルート奏者」だってね、話はずっと聞いていて。
したら、ラリーが、「千春ちゃん、千春ちゃん。阿部ちゃん。阿部ちゃんのお母さん凄いんだよ。」
えっ?
「阿部ちゃんのお母さんはね、世界的な尺八吹き。」
ラリー、尺八じゃねえだろう。ねえ、フルートだろう?
「ああ、そうそうそう。フルート、フルート」
フルートと尺八を間違えるほどな、いい加減なミュージシャンでした。
民さん、幾見さんにもエレキギターでお世話になったし、ベースはミッチー、長岡なあ。ホントに、まあ、笛吹ちゃんにはギターで色々教えてもらうこともあったし。
そして皆がその業界で、エレキならエレキで、松原もそうだけど。これから一番になっていく、ドラムの島ちゃんも、これから一番になっていくっていう、笛吹ちゃんもそうだけど、そういうメンバーだったんだよ。
だから勢いがあるからね、堪らないよな。だから毎日毎日がさ、楽しいんだよ。なあ、音楽って、こんな楽しいかって思うぐらいね。だって毎日皆が腕を上げてくんだもん。それが分かるんだもん、なあ。
そうやって考えたら、やっぱりはじめの頃、彼らと出会ってコンサートへ出てな、歌わせてもらったってのが、今日に至る。
いやあ、ホントに彼らには感謝しながら、特に亡くなったラリー、なあ。
お前、あの世でもさ、文句言ったりするなよ。なあ、ちゃんとやってけよ。
お前、俺達がいたからさ、ラリーお前、事件にもならないで丸く収めて来たけどよ。
まあ、ホントにそんなラリーさんが大好きでした。
俺の曲のなかで、まあ、コンガね、ラリーが活躍する曲がありました。
私が26歳のときに出した曲です。
松山千春「サンバ」
「サンバ」松山千春O.A
---CM---
しかし、今思えばさ。
25、26のとき、一緒にやってたツアーメンバー、ま、ミュージシャンな、ホントに面白い連中ばかりで。
今、俺がコンサートやってるメンバー、古いのは夏目、キーボードの夏目ぐらいだな。あとは結構、若くして、入ってきてくれてるんだけど。
要はさ。
俺が使ってたな、最初のメンバーたちがさ、どんどんな上手くなってさ、ギャラが上がっちゃってさ。
もうこのメンバーでは、お前、なあ。
何よりもメンバーのギャラがお前、一番高いじゃないか、という話になってな。
それで、メンバーそれぞれ代わっていく羽目になったんだけどな。
うん、けど、今でも、まあ、バンバン活躍しているメンバーなんだけどな。
ラリーが、うん、凄いな、こいつはミュージシャンとして凄いなと思ったのが、
一緒に、ツアー回ったり、レコーディングしたりな、10年近くやってきて、ラリーの方から、
「千春、パーカッション、斉藤ノブ使ってやってくれないか? 俺はもう歳だし、期待に応えられるような、ま、コンガもはたけないだろうし、ピンパレスも叩けない。
ノブは今、絶好調でどんどん力つけてるから、千春、ノブとやってやってくれ。」
てっ、きたんだよ。
で、俺がさ。
「ラリー、なに言ってるんだよ、お前。確かにノブは力つけてるし、今パーカッションでは一番、上手かもしれない。
けどお前、音楽って、上手い下手でやるもんじゃないぞ。
やっぱり歌う人間と、メンバーと一緒の気持ちになって、盛り上がるところは盛り上がるな、静かに歌うところは静かに歌う。そういう歌心・気持ちが分かって、初めてバックメンバーだから。
そうやって考えたら、確かにノブは勢いがあるけど、ラリー、俺はラリーのコンガが好きなんだ。だから頼む。このまま一緒にやってくれ。」
そんなこともあってね、「ああラリーは、色んな意味で一流のミュージシャンだったんだな」と思いますよ。
皆、立場は違うけどさ。
もしだぞ、自分より上手いなと思う奴が出てきたときに、それが言えるか?
「いや、俺よりも上手い奴がいるから、こいつと代えてくれ」
なかなか・・・
「俺よりも、こいつの方がもっと仕事出来るから、こいつを上にしてやってくれ」
言えないよな。
まして、音楽の世界だからな。
そういう意味では、色んな意味でラリーには感謝します。
そんななかで、エレキの松原。
もう亡くなって8年になりますけど。
ま、松原も天下だったな。
エレキギターと言ったら松原。
演歌、歌謡曲、皆、松原を指名してくる。
なあ、そんな、まっつあんがね、まっ「長い夜」という曲をレコーディングしたときに、最初は静かにな、やる曲だったんだ。
それが島ちゃんが、「これ、ちょっとリズム速くしていい?な。もっとリズム速くしたほうが全然いいと思うんだ。」
そしたら松原が、「あっ、分かりました。今、ちょっとフレーズ考えます。」と言って、イントロのエレキのフレーズを考えはじめた。
それで出来上がったのが、「長い夜」なんだけど。
レコーディングの最中にな、テンポを変えようとか、もっと速くしようとか、こんなに色々やったレコーディングもなかったです。
松山千春「長い夜」
「長い夜」松山千春O.A
---CM---
(一部省略)
今回、こうして最後までお付き合い頂いて本当にありがとうございます。
ラリーは亡くなりましたけど、松山千春、また4月からコンサートに出かけますので、もし皆さんのお近くだったら、うん、足を運んでいただければ有難いなと思います。
それと寒暖差、季節の変わり目ですから、是正、皆さん、健康に気を付けて。
最後の曲です。
松山千春「淡々と」
「淡々と・・・」松山千春O.A
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