「松山千春 『感謝』に思うこと~松山千春 全作品解説237~」S2870
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◇更新履歴
V1.0:2015.03.31 初稿
V1.1:2019.10.21 最新エディタにて記事を作成し旧記事と差し替えおよび、新規文章と所有のアルバム画像、歌詞を掲載
V1.2:2022.07.15 山本コウタローさんが他界につき、追記
V1.3:2023.11.06 オフシャル動画・音源をリンク
V1.5:2024.03.09 ラリー寿永さんが他界につき追記
V1.7:2024.03.11 追記
■ 「感謝」編曲者:笛吹利明
1983年5月21日発売のアルバム『今、失われたものを求めて』のB面4曲目(CD 9曲目/全10曲目)
※ 直近の演奏実績
・デビュー25周年記念コンサート 松山千春の原点 『春・夏・秋・冬』
◆所有収録CD・アルバム
◆所有収録アナログ・アルバム
◆所有収録ミュージックテープ
◆レコーディングミュージシャン
01.E.Guitar:松原正樹
02.A.Guitar:笛吹利明
03.E.Bass:長岡道夫
04.Drums:島村英二
05.Keyboard:奥慶一
06.Percussion:ラリー寿永
07.Strings : Ohno Strings、 Katoh Joe-group、Hiiro Strings
08.chorus: 山本コウタローほか
◆2024.3.11 夢野旅人
2024年3月10日放送の「松山千春ON THE RADIO」。
1980年代前半のレコーディングやコンサートのサポートメンバーだったラテンパーカッションのラリー寿永さんの訃報を受け、ラリーさんや当時のメンバーだった笛吹利明(松山千春→長渕剛)、島村英二(松山千春→長渕剛→さだまさし・中島みゆき)、故・松原正樹さんたちとの思い出、エピソードを語り、
「サンバ」と「長い夜」、最後に笛吹利明がアレンジした「淡々と・・・」がかかりました。
※コメントの全文は後日、別記事にて作成中
◆2024.3.9 夢野旅人
8日、ミュージシャン、パーカッション奏者のラリー須永の訃報を知りました。
松山千春が全国ツアーでバックバンドをつけたのが1980年秋から。83年秋まで腕利きのスタジオミュージシャンが同行。
下記2015年3月15日付け記事に紹介した「月刊松山SAGA3」本人解説にあるように、千春はこの時期のサポートミュージシャンたちに、かなり音楽的に影響を受けている。
松原正樹(他界)、笛吹利明、島村英二(2024現在、中島みゆき、さだまさしのサポート) 、奥慶一、ラリー寿永・・・
特に、ラリーさんの影響は大きい印象があります。
メンバー紹介のとき。
千春は、「我々のアイドル、ラリーさん」とよく紹介してました。
1983年秋のツアーを最後にツアーを外れてから、ラリーさんの演奏を最後に観たのが1989年。
ラリーさんの地元の館林での「感謝」。
2016年春、大宮ソニックシティの楽屋にラリーさんが来場。ラリーさんのリクエストでアンコールに「炎」が歌われた(詳細は下記をクリック↓)のが印象的でした。
下記2022年7月15日付けの記事にもあるように、山本コウタロー・山本厚太郎さんやギタリストの松原正樹さんも他界。さびしい限りですが、ラリーさん、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
◆2022.7.15 夢野旅人
ソルティー・シュガー、山本コウタローとウィークエンドの山本コウタロー・山本厚太郎さんが7月4日亡くなられました。
73歳でした。
80年代、NEWSレコードの解散まで、千春と関わりがあり、アルバム『眠れない時代』などでは、ディレクターを務めています。
また84年秋からのテレビレギュラー番組「ハロー!ミッドナイト(HELLO! MIDNIGHT)」での千春との共演や、ラジオ「ライオンフォークリビレッジ」や、「サウンズ・ウィズ・コーク」などのパソナリティーなど思い出深いです。
訃報を知り、真っ先に聴こえてきたのが、ザビで、山本コウタローやメンバー、スタッフたちの自由に歌ってい「感謝」でした。
彼の人脈によって、当時、実現した千春の仕事はたぶんにあったと思います。
お疲れさまでした。
感謝しています。
◆2019.10.21 夢野旅人
4年半前に書いた文章と少し重なるけれど、この曲をリアルタイムで聴いたのは中高生のころ。
正直、眠たい曲だった。
けれどこの歳になってみて身に染みる。
名曲だとさえ思えるようになった。
「幸せ」も「平凡」も「です。」にも言えることだけど飾らない言葉で、メロディーで表現して発表したこと。
それも、27歳、人気絶頂の歌い手でありながら、自分を見失ず、感謝の気持ちを常に持ち続けていたことに感服する。
どんな小さなこと、あらゆるものに感謝することが、日々の生活の中でとても大事なこと。
感謝は愛 愛は幸せ 幸せは喜び
「感謝」こそが、今の世の中で欠けているものだと思う。
◆2015.3.31 夢野旅人
日々の生活は、そんな格好のいい、美しいものではないのだろう。
だから、逆に美しいもの、格好のいいものに憧れを抱いてしまうのかもしれない。
本当に大事なこと、大切なことは、見た目ではない。
普段着の素直な心、自分にも、関わる人たちへの感謝を忘れてはいけない。
そう分かっていながらも、ある程度の年を重ねないと、なかなかね、華やかなものとか、格好のよいものに目を奪われてしまう。
音楽、エンターテイメントの世界も同じことがいえる。
松山千春の「感謝」。
この曲を初めてきたとき。
素朴すぎるというか、格好のよくない曲だなと思った。
普段着よりも、もっとフォーマルかつ洒落た華のある歌を望んだ。
そんな自分だったから、歌の本質や真意を知る由もなかったのだろう。
~Da Da Da・・・
Da Da Da・・・ ~
サビ部分で、山本コウタローやメンバー、スタッフたちの自由に歌っている。
千春と、彼らの歌声とともに、この曲は終わる。
彼らが、参加することが、重要な要素だったと今は思う。
SAGA3における本人解説で、
この曲を作った頃は、デビューして5年目。なにをやっても楽しい時期。
ツアーメンバーは、技術的にも、人間的にも魅力的な一流ミュージシャンばかり。
とくにパーカッションを担当してくれたラリー寿永。
俺に負けず劣らず豪放磊落を絵に描いたようなアーテイスト。
そんなミュージシャンたちとのツアーは楽しくてたまらなかった。
そんな濃密な日々を過ごせていることへの感謝の想いを込めて、この曲を作った。
あるときラリーが、俺の将来のことを真剣に考えてくれた。
そして、パーカションは自分でなく、勢いのある若い斉藤ノブに変えたほうがいい、と進言してくれた。そんな彼の人間性は素晴らしいと思った。
そういうかけがえのない男たちと一緒に旅を続けられている自分。
その自分の人生に心から感謝したわけなのだ。
今の俺がなにに感謝しているか。
なによりもまず自分自身だろう。
自分自身に感謝することができるようになれば、自然と自分に携わるすべてのものに対して感謝できるようになる。
それこそ空にも海にも山にも動物にも。
この真理が、「感謝」という曲に繋がっていくわけ。
俺たちは自分を溺愛することと、自分に感謝することの違いをもっと見つめ直さなければいけない。自分を溺愛するということは、自分の短所から目をそらして、ひたすら自分の長所だけを守ること。
逆に、自分に感謝するということは、短所をも認め、その短所にも感謝できること。
例えば、ある仕事が、結果的に力及ばず失敗したとする。 そういう場合でも、できなかった自分に感謝しなければいけない。
と、ある(要約)。
~なんて素敵な毎日を 迎えて来ただろう
確かに生きている 今 この時~
自分を愛せない、生きてることに、自分に感謝できなければ、人に感謝することなどできない。
ここ最近かな、実感できるようになったのは。
お恥ずかしい限りです。
◆歌詞及びオフシャル動画・音源
Da Da Da・・・
夕暮れ時はいつも 空をあおいで
君に感謝するよ 今日を生きたことを
なんて素敵な毎日を 迎えて来ただろう
確かに生きている 今 この時
Da Da Da・・・
Da Da Da・・・
夜明け時はいつも 空をあおいで
君に感謝するよ 今日も生きることを
なんて鮮やかな 陽ざしが心にさし込む
確かに生きている 今 この時
なんて素敵な毎日を 迎えて来ただろう
確かに生きている 今 この時
Da Da Da・・・
Da Da Da・・・
◇松山千春 2024.4.3リリース「友よ」
◆松山千春全作品に思うこと~全作品解説1982-1984 インデックス3
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