「松山千春 『炎』に思うこと~松山千春 全作品解説76~」S2237

 

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◇更新履歴

V1.0:2014.3.28 初稿

V1.1:2014.4.01 松山千春選曲ベストアルバムの収録有無を追加

V1.2:2016.8.03 記事を追記

V1.3:2019.09.03 最新エディタにて記事を作成し旧記事と差し替えおよび所有アルバム画像、歌詞を掲載

V1.5:2023.06.05 オフィシャル動画・音源のリンク等

V1.6:2024.02.27 直近の演奏実績を追加及び追記

V1.7:2024.03.24 追記

 

■ 「炎」編曲者:大原茂人
1981年11月21日発売のアルバム『木枯しに抱かれて』のB面1曲目(CD 6曲目/全10曲目)

 

◇松山千春選曲ベストアルバム『季節の旅人~春・夏・秋・冬~』DISC-3(秋)の4曲目

 

◇松山千春選曲ベストアルバム『松山千春の世界』DISC-1の16曲目

 

---ライヴVer---

 

 

※ 直近の演奏実績

・松山千春コンサート・ツアー2018『弾き語り』


◆所有収録CD・アルバム

◆所有収録アナログ・アルバム

◆所有収録ミュージックテープ・アルバム

 

◆レコーディングミュージシャン(後日追記/楽曲個別ではなくアルバム『木枯らしに抱かれて』全体のクレジット) 

01. ギター(AG):
02. ドラム:
03. ギター(EG):
04. ベース:
05. キーボード:
06. ストリングス:
07. コーラス:


◆2024.3.24 夢野旅人

2024年3月24日放送「松山千春ON THE RADIO」。

3曲目に「炎」がかかりました。(コメントは後日掲載予定)


◆2024.2.27 夢野旅人

今朝、目覚めたら1988年11月2日、千春が『夜のヒットスタジオDELUXE』で「炎」を歌っているのを、居間にあった古いモノラルのテレビで見ている風景がよぎった。

 

そのころは、レコードとラジオしか聴けなかったバカでかいステレオと、15万円前後のミニコンポを経て、

部屋にはバイトなどで買った、高級ステレオアンプやスピーカー、テレビモニターなどが揃っていたにも関わらず、そっちはビデオテープに録画だけにして、居間で観た。

 

モノラルで音はよくないのに、あの「炎」は息を吸うのを忘れるくらいに、引き込まれ感動した。

 

千春に限らず、生放送での音楽番組での演奏で、いつまでも色褪せないパフォーマンスはいくつかありますが、その中でも、この「炎」は真っ先に思い出します。

 

◆2016.8.3 夢野旅人

01. 松山千春の真価を、否応無しに世間に知らしめた名曲

1988年の『夜のヒットスタジオDELUXE』での「炎」。

陳腐な表現だが、伝説に値するパフォーマンスだった。

マンスリーの平均視聴率は20%前後。
『ザ・ベストテン』での「季節の中で」、「長い夜」とは違ったインパクトで松山千春の真価を、否応無しに世間に知らしめた。

そう思っています。


02. ラリー須永
2016年春の大宮公演でのアンコール。

元サポートミュージシャンのリクエストにより歌われた(ワンコーラス、AG ONLY)。

ラリー須永。

パーカッション奏者。

 

ツアーにサポートミュージシャンがついたのが1980年秋。笛吹利明、長岡道夫、島村英二、松原正樹など。1983年秋まで錚錚たるミュージシャンが名を連ねた。

この時期の全ツアーをサポートし、千春に音楽、公私ともに影響を与えたミュージャンの一人が彼である
(メンバー紹介のとき。ステージでよく、「我々のアイドル! ラリーさん」と言っていたのが印象的だった)。

 

メンバーから外れてからも、東京のステージでよく見かけた。

1989年春。

彼の地元の館林公演でも「感謝」の演奏に参加した。 この春の大宮まで、彼を見たのはその館林が最後。

 

彼の名が出たとき。

元気だったんだと安堵しました(御年71歳)。

彼が千春にリクエストしたのは本編のインターバル。

 

千春、「炎」歌ってくれないか

聴きたいな

あの曲の盛り上がりが好きなんだ


それで、急遽歌うことになったという。

 

03. 姉・絵里子さんも好きだった「炎」

客席からのリクエストで歌う姿は多々見てきた。でも、関係者のリクエストだと、ことわって歌うのを見たのはラリーさんで二回目。 

 

もう一人が1998年に他界した姉の絵里子さん。

1989年12月2日 東京厚生年金会館。

アンコール。

 

千春、「炎」歌ってよ

そう姉貴に言われたといって歌ったのが印象的でした。


5日後に迫った日本武道館での記念ライブ。

先月21日に放送されたラジオ「松山千春 デビュー40周年記念 系譜」で千春が言った。

 

「炎」だけは必ず歌います

 

その言葉に聞いたとき。 

 

千春、「炎」歌ってよ


絵里子さんの声が聞こえた気がしました。
5日後の武道館、そして「炎」も楽しみです。

 

◆2014.3.28 夢野旅人

1980年代半ばから後半、千春はこういっていた。

 

俺にとっての最大の褒め言葉は

「あの歌は名曲ですね いい曲ですね」

と言われるよりも

あの日 どこどこ 例えば

東京厚年金生会館で

歌ったあの歌は

絶品でしたね」

そう言われるのが

最大の褒め言葉

 

デビュー11年目となる1987年。

攻撃的で、よりメッセージが色濃くなったコンサートツアー「あなただけの季節」。

 

1987年6月2日 東京厚生年金会館、アンコール。

イレギュラー、フルバンドで5年半ぶりに「炎」が歌われた。

 

吸い込まれそうな熱唱。

歌い終わったとき、客席ステンディングオーベーション。

拍手が鳴り止まなかった。

 

千春が喋りだそうとしても、さらに拍手が沸いた。

あのときほど拍手が

鳴り止まなかったライブを僕は知らない

あの日の「炎」は絶品だった

 

「炎」。

人生のすべてを目の前の愛に捧げる。

それは儚く刹那的であり、松山千春の歌唱があってこそ成立している。

これぞ、松山千春の珠玉のラブソングと思ってしまう。

 

好き嫌いはあるにせよ、千春ファンにとって「炎」は特別な一曲であることは間違いない。

だけど千春の楽曲の中でも、特Aランクに入る歌でありライブであまり歌わない。

 

1987年春のときもそうだった。

友人から、「(13本目にあたる)京都会館でのリハーサルでバンドで『炎』を練習してた」と聞いたとき。

バンドでやるんだ。

自分がいくライブで歌ってくれるといいのだが・・・」と思った。

 

今日まで、あの日を凌ぐ「炎」に出会ってはいない。だけど、1988年11月2日の『夜のヒットスタジオDELUXE』での「炎」は絶品だった。

見ていたのは、モノラル音声テレビだったが震えるほどの感動だった。

 

同時期のツアー『Message』で、本編中盤にレギュラーで「炎」は歌われていた。

しかし、『夜のヒットスタジオDELUXE』のパフォーマンスが衝撃過ぎて、ライブの「炎」が霞んでしまうほどでした。

 

ちなみに持論ですが、「炎」はアンコールラストで歌われると案外、チープな印象が残ったりする。

 

それは後奏からエンディングの繋ぎが難しかったりするからだ。

かといってオリジナルどおりの終わり方で幕が閉まるのも寂しい。


アンコールラストの前での満身の熱唱こそが、この曲がより輝きを放つ置き場所だと思うのです。

 

◆歌詞及びオフィシャル動画・音源

つかの間のやさしさに 愛をゆだねて 

貴方の広い胸に 夢をたくして 
夜の長さにまかれ くわえた煙草  

そうねみんな貴方が 教えてくれた 

貴方のそばを 離れたくない

命も心も 全て捧げた 
愛がゆれている 炎の様に  

誰も責めないで 燃えつきようと 

恋になれた女の 流す涙は 

悲しいほどせつない 貴方への愛 
貴方にめぐり逢えて 悔いなどないわ 

生まれてきたことさえ 幸せと思う 

貴方のそばを 離れたくない 

命も心も 全て捧げた 
愛がゆれている 炎の様に  

誰も責めないで 燃えつきようと 
愛がゆれている 炎の様に  

誰も責めないで 燃えつきようと

 

◆松山千春全作品に思うこと~全作品解説1980-1981 インデックス2

 

 

 

 

 

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