「その2 松山千春、フォークソングを語る。~日本のフォークソングの流れ~」S8935-2

 

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◇更新履歴

V1.0:2022.01.24 初稿 

 

◼️その2 松山千春、フォークソングを語る。~日本のフォークソングの流れ~

2022.1.23放送「松山千春ON THE RADIO」

その1からの続きです。

 

PPM、ピーター・ポール&マリーね、「500マイルも離れて」。 1マイル1.6㎞です。1,600メートルです。500マイルということは800㎞。800㎞というのは、札幌からだったら仙台あたりまで。 東京からだったら青森な、北は青森、西は広島ね、「ああ、500マイルもね、ふるさとから離れて来てしまったのか・・・」みたいなね。 

 

これが、やたらとそのぅ純粋な私にですね、今までの歌謡曲、演歌とは違ったね、画期的な音楽として、ま、夢中になりました。良生にギターも教えてもらいました。 

 

このフォークブームが日本には1970年代に入って来ます。これが面白いんだけど、関東フォークと関西フォーク。

 

ふたつの流れで入って来ます。 ひとつは関東フォークは、う~ん、森山良子さん、小室等さん、な。

 

これはねコピー、「500マイルも離れて」とかな「花はどこへ行った」、そういった曲をコピーしながら、「これがフォークなんですよ」ってやってたのが、ま、森山さんや小室さん。

 

 

 

一方、関西に入ったフォークはな、高石ともや、そしてフォークの神様と呼ばれた岡林、信康によってメッセージ色の強い、な、自分の思ったことをどんどん歌っていく。そういうシンガーソングライターを輩出していきます。 

 

 

う~ん俺は当時、やっぱり関西フォーク、岡林信康な、いいな。

 

ねえ~ところがよ、この岡林信康が全盛期のときにな、失踪するんだ。ある日いなくなるんだ。 「あら?おい、岡林どこ行っちゃったんだ?」みたいなね。 「もう岡林の後は一体誰がね、この関西フォーク、繋いでいくんだ?」。   

 

そんなときに出てきたのが、吉田拓郎と加川良。決着はアッとという間でした。 

吉田拓郎が「結婚しようよ」という曲で大ヒットしていきます。 

 

 

一方、加川良はコツコツと、いわゆる関西フォーク、メッセージ色の強い曲を歌い続けていました。 

 

自分は、そんな加川良が大好きでした。 

 

残念ながら亡くなってしまいましたけど、彼らしい、また自虐的なメッセージの入った加川良「コスモス」。   

 

「コスモス」加川良 O.A

 

---CM02--- 

その3に続きます。

 

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◆インデックス 松山千春、フォークソングを語る。

 


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