何事にも始まりがある。
始まりはひっそりとしているので
1日は何事もなく過ぎていく。

やがて苦難の時が訪れる。
周囲と異質ゆえに孤立を知る。
頭を下げ低く身構えて、
さながら嵐の只中でそれが過ぎ去るまで
じっと耐え忍んでいるかのようである。

緊張感を持って過ぎた8年。
孤立に恐怖し、迎合すべきか悩んだ日々。
だがその間も超越は休むことなく
『変わらぬ経過』という成長を続け、
10年目を迎えるまでには不朽と思われた常識
を超越するものとなる。
超越は争わない。遥か彼方を通り過ぎて行く。

変化は突然生じるのではない。
始まりがあり、成長があり、大きくなって
突然現れたように見える。
 
“この内が我々の総意である。”
何とも曖昧な文章ではあるが、大抵人はその文
章の中に暮らしていて、そこからは出ようとし
ない。それはそれで良い。満足ならそれで良い。
必要な時に、必要な場所で、必要な変容が準備
の整っているところのどこかで起こる、確率か
らそのように解釈している。
(私はその候補に挙がるよう努力するための方
法を、一つだけ知っていると信念している。)

この世界には第一動機があって、その動機に従
って世界は構成されている。
人間の動機は第二動機である。
第一動機は第二動機に対してキャンバスを提供
しているとも言える。
第二動機はこのキャンバス上で活動することで
キャンバスの作品に影響している。
このキャンバスは自立進展しているので、第二
動機が消失すると第一動機に塗り替わっていく。

人間は科学の発展によって地球の隅々にまで至
るようになった。そして創造力のパワーに魅了
され、知らず知らずのうちに第二動機中心の世
界に籠って暮らすようになった。
現在我々の第一動機に対する、或いは第一動機
と第二動機の関係についての理解は極めて乏しい。

森林浴という名のついた行為が一般的であるよ
うに、自然に身を置くことで心身が癒されると
いうことは多くの人の知るところである。第一
動機に同調することに意義があるのだろうか。
不治の病が完治したというような奇跡現象の背
景には、この第一動機への同調ということが深
く影響していると考えている。自然界には始ま

ったら終わるというパターンがあると思うからだ。