正規分布夢想は『存在は正規分布の形状をしている』と仮定した独断と偏見の私見です。

例えば木彫りの彫刻について考えてみます。木材を一刀一刀削って目的の形に彫り上げていきますが、こういう行為の末に木彫りが完成するわけです。
木彫り細工そのものと木彫りが完成するまでの行為を総じて『正規分布』と言っているわけです。
陶器や絵画、作曲など人の作り出すもの全てがこの形をしていると考えるわけです。ところがこの現象は自然界にも見られます。むしろ自然界の性質だから須らくこの
ようになると考えられます。そこで以下のように仮定します。

仮定1:存在は正規分布の形状である。

そこで人も存在であるので正規分布の形状をしているに違いないと考えました。が、ここでつまずくことになりました。
正規分布は時間の経過とともに形状がハッキリしてくるという特徴があります。しかし人にこれが当てはまらないと感じられました。
人の人格、個性はいくら年を重ねても固まらないと思いました。存在は正規分布の形状をしているという考えは荒唐無稽だったのかと落胆しました。今まで同様のただ
の思い付きだった。

ビッグバン理論に従えば、この世は微小な一点から広がったということになっています。今宇宙の全てを集めたら元の一点に戻るということになります。私はこの状況を神が自身を平等に分けて創造したと考えました。従って一つ一つは完全で完成していると考えたわけです。時間の経過とともに完全な姿が現れるはずでしたが、期待は裏切られることになりました。正規分布夢想なんて粋がっているが所詮妄想、戯言なんだ。これまではこういう状況に陥ると投げ出していました。そもそも自分如きは大した者じゃない。
しかし今回だけは違った。投げ出すことを是と思わなかった。きちんと幕を閉じるべきだと思った。

想定した中心はそのまま残すわけにはいかないので、一旦正規分布の外に外そうと考えました。中心の無い正規分布などありませんがそうせざる得ません。

「ん、外に外す?」、その時閃きました。

「完全な魂はそれ自体では存在せず、何かに乗って活動しているとしたらこのような状況を説明できるかもしれない。」

何かに乗って活動する魂の姿が人の姿で、それを観察しているとしたら、時間の経過に伴ってだんだん明確にならない現状を説明できるかもしれないと考えたわけです。
人とは完全な魂が何かに乗って活動している姿であるということを仮定しました。この何かを霊体と考えています。霊体は一定期間肉体に乗って生活します。

仮定2:魂はこの世ではそれ自体で存在せず、霊体に乗
    って永遠に存在する。

この考えに従えば、この世界は限りなく進歩し続けて留まることが無い無限の世界であるということになります。
限りなく神に近づく世界ですが、そこに到達することはありません。
神そのものではないが神の別な側面で、神を限りなく明瞭に表現していく世界ということになります。

神そのものは完全で形なく満ち足りて静止した存在と考えます。一方この世界は存在として正規分布の形状をしています。この正規分布は時間の経過とともにその形が
明瞭になっていくという特徴がありますが、上述の理由で徐々にハッキリとしてはいきますが完全な明瞭に至ることはありません。動的無限という神の別な側面の世界です。ぼんやりから限りなく明瞭になるグラデーションの世界です。
神は特定の形を持ちませんがこの世界において様々な形をとるようになりまた同時に動的になりました。

動的というと時間の連続性を思い浮かべますが、正規分布の性質からそれぞれの瞬間は独立していて連続していません。この性質を『過程』と呼ぶことにします。過程
によって発展する動的世界です。明瞭に向かっているので発展の方向性があると解釈します。
この過程のリズムは一定していて正確であり、私たちは当然物事は連続するという観念の下で選択的体験をする傾向にあるので、あたかも連続した時間というものが存
在しているかのように思い込んでいるだけなのかもしれません。

最後に一つ、天国と地獄の存在は必然なのでしょうか?
これらは可能性としては存在することになり、現に存在していると思います。ただ、必然か?というとそうではないと考えます。
実のところこの世界が表現しようとしている神の形(神に形はありませんがイメージとして表現しています。)について我々は知りません。私たちが知り得るのはその
要素(過程の一つ一つ)が明らかになることによって間接的に察する、知るのです。つまりこの世界の活動の結果によって神の形が現れてくるということです。
では神の形を私たちの意図した形に作り上げることが出来るという事でしょうか?
それは出来ない、という答えになります。何故なら神は既に形をもって(イメージです)存在しているからです。
時には役割を担う人がいるとは思いますが、基本的には成るように成るということだと思います。