数学では0での除算が出来ない。これを出来るように理屈をつけたのがゼロ浪漫で、0を再定義するところから出発した。

“満ち足りて過不足ない状態”で四則演算子に反応しない、

と定義した。0は何もない状態とする数学の真逆の解釈にしたわけだ。何もないのではなく、すべて揃って充足しているので反応しないという理屈にした。
0以外の数値は四則演算子に出くわすと即座に反応する(というか、我々は既に存在しているものを数式を通して認識しているとも言える)が、0に対しては無反応となる。従って0での除算は0になるという考えだ。0は四則演算子が作用しない状態を示すからである(ゼロ浪漫)。何もないと思われていた空間には全てがあるという理屈だ。

1は確率の世界では全体を意味する数字だ。この1を100倍して割合を示す考えが百分率(パーセント)である。従って0と1は同じものということになる。厳密には同じものの互いに次元の異なる側面である。

0と1は似てはいるが

 0    1
静的 ≠ 動的

となり成立しない。互いの世界が違うからである。しかし意味だけ見ればそういうことになると思う。
正規分布夢想ではこの世界はいつまでも完全に向かい続ける動的世界だと考える。完全に至れば静止することになるがこの世界は完全に至ることは無いので静止することは無い。限りなく完全に近づき続ける世界だ。

算術式は0という静的数字によって演算反応が起きないので、静的状態を表す0が解となる(ゼロ浪漫)。

1÷0=0  (ゼロ浪漫)
同様に
1×0=0
0÷0=0  (ゼロ浪漫)
0×0=0
0÷1=0

一方、
1+0×1=1+0=1
1-1÷0=1ー0=1

掛け算割り算は一つのものに対して増やしたり分割したりという操作なので、0に対してはそれが出来ないので全体が0となる。一方足し算引き算は独立したものの間の操作であって、式全体では0の影響を受けないので算術結果には影響しない。

では累乗の解釈はどうなるのだろうか?

1の0乗=1
2の0乗=1
  ・ 
  ・
  ・
9の0乗=1

このように0乗の解は全部1になる。実は0乗というのは0以外の数字では0を使って計算していない。指数はかける回数を表している。

0→1→2→・・・→9

という数列の順位で考えると分かり易い。整数2について考えてみる。
指数が1のとき1回掛ける→2
指数が2のとき2回掛ける→4
指数が3のとき3回掛ける→8
となる。
指数を3→2→1と見ていくと、
8÷2=4 ・・・ 指数2の状態
4÷2=2 ・・・ 指数1の状態
そして、
2÷2=1 ・・・ 指数0の状態
となる。

ゼロ浪漫での0の定義は“満ち足りていて過不足ない状態”で演算子が作用しない数字としたので、
0÷0=0
となり、従って
0の0乗=0
となるが、多くの場合数学では、
0の0乗=1
とし用いられることが多いと聞く。そこでこの情報をゼロ浪漫でも採用するならば、0の0による割り算の解は、

0÷0=1

となる。0の0乗を1とすると0÷0=1という0による除算が、数学上可能であるということを暗示している。ゼロ浪漫的には新たに解釈が必要となるが出来なくもない。しかし数学的にはどうなんだろう?

私的にはこの数式が成立するならばそこに非常なロマンを感じてしまう。
ゼロ浪漫では被造世界に於いて0は神を象徴的に表し1は被造世界を表す数字としているので、神が全身全霊をかけて生み出したものが被造世界であるという秘話が、数式の上に象徴的に滲み出ていると見て取れなくもないからである。