奇跡現象は起こるべくして起きている現象ではないか、と私は内心怪しんでいる。
1.始まりと終わりは1対である。
2.奇跡は終始期間の長いものが短縮される現象。
3.人は選択的体験という創造をしている。
1~3を考慮すると、放っておけば時間はかかっても物事は終わるという考えが成り立つ。これは自然任せが絶対条件で、外部の関与は皆無でなければならないということではない。そういう関与も含めて成り立つということだ。
我々は常に選択的体験という創造をしているので、物事に注目するほど深く体験することになる。このことが奇跡への理解を難しいものにしていると、私は思う。
自然界には物事の始まりと終わりがあり、終わりを促進する役割の関与がある一方で、気づかないうちに物事に深くのめり込んで間延びさせてしまっている自分がいる。
自然の働きと上述の相反する2作用が働いていて、結果を平面的にみるとわけがわからないことになる。
人の創造性を働かさなければ、自然の流れの中で物事は始まり、終わっていく。自分の思いではなく自然の流れに同調するという、自然に『委ねる』気持ちとなって、自然を構成する歯車の一員のようであるなら己もそのようになる。
自然に委ねるということは、『死』という人間の壁を超越して自然の無限の枠の中に入るということを意味する。無限の中では始まったものはいつか必ず終わりを迎える。本来終始とはずっと短い時間ではないだろうか?私たちは深くのめり込み過ぎて中々終わりに辿り着けない体験が多すぎて、それが真理のように思い込んでしまった。
世の中が騒がくなってきたが、平等の法則(確率)による歪みの是正が生じているとするなら、今は正に時代の転換期である。
この千載一遇の勢いを利用しない手はない。私はこの世界をもう一段高い位置に引き上げたい。本来の生命の力強さを顕現した世界にしたい。きっと景色は全く違ったものになる。馬鹿げた行いで塵のようなものだと思うが、塵も積もれば山となるのではないか。