おはようございます
昨日の記事を読み返してみて自分でちょっと誤解を生むような書き方だったなと思って追記します。
なんか先生のことを知らない時は説明スルーで
知っている人だからちゃんと話聞いたみたいな感じになっていますが
誤解です
Kちゃんは緊急の専門家の先生で心電図から心臓病の「診断」をするのはダメだったんですよね。
なのでKちゃんはずっと循環器科の専門家の先生に診察を急いでもらっていたのですが
患者さんには「断言せず」「緊急性」を説明しなくちゃいけなかった訳です。
正直わかります。私も同じような仕事しているので。
分かるからこそ「循環器科の先生の診察待ち」と言われれば待つしかなかったし
「心臓発作なんですか?」なんて聞かなかった。
もちろん次はこの検査しますと言われれば検査していましたし
循環器科の診察待ちですと言われれば、何時ごろですか?大丈夫ですか?とか聞かずとにかく待っていたんです。
そうです。あの時の私たちはとにかく診断を待つ状態だった訳です。
でも、知り合いとなるとちょっと気が緩んじゃいますよね。お互いに。
この人は「自分の見解」を伝えても後で違ったからって訴訟する人じゃないという気の緩み
そして「断言はできないだろうけど見解だけでも教えてよ」と言える親しみ
これは正直、自分の仕事の仕方を考えるいい経験にもなりました。
患者(と保護者)に取って「待つ」時間ってすごく長い。。。
そんな中「断言」はできなくても「先行き」みたいなことを教えてくれるだけで少し楽になるんですよね。
人間のお医者さんは循環器科の専門の先生以外「心臓病の可能性」すら示唆したら
違っていた場合後で訴えられる可能性もあるわけで
循環器科の診察まちとしか言えなかった気持ちもすごく分かる
だから父は黙りこくって椅子に座っているだけだったし
私もはっきりしない説明に「うん。とりあえず循環器科の診察待ちなのね大人しく待ちます」という態度だったわけです。
これはシステムのせいというか、病院の方針だからしょうがないといえばしょうがないです。
私も仕事している時、断言しないで可能性ばかり示唆することよくあります
でも間違いなく言えたのは、母は「普段通り」に戻ってはいたけど「致命的」な局面にいたという事
そして看護婦さんを始め、全てのお医者さんたちが全力で仕事をしていてくれたという事でしょうか。
オーストラリアの国立病院のレベルの高さには本当に頭が下がる思いです。
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