叔母は若い頃から、通院していたので、大学病院でいつも出会う患者さんがいました。
しかし、今、当時の「病院友達」は叔母にはほとんどいません。
亡くなってしまった方や、もう奈良医大には通えなくなって近くの病院でお世話になると去って行った方・・・。
そんな中で、私の親友から声をかけてもらったことは、きっと嬉しかったと思います。
叔母にとって、「誰かと話す」ということは貴重です。
たった5分ほどの出来事のようでしたが、私には10分くらい話していたんじゃないか?というくらいに、報告してくれました
後見人の仕事には、「財産管理」のほかに「身上監護」というものがあります。
しかし、「身上監護」というのは、結構、難しいだろうな~と思うのです。
親族が後見人になっても、日々の仕事が忙しかったり、介護もして財産も管理して家裁に報告・・・となると、被後見人の心のフォローをどこまで満足得られるまでやってやれるのか?疑問だな~と私は感じます。
私が職業として「任意後見人」を受任したとしても、やっぱりその人の満足が得られるまで身上監護まで出来るかといえば疑問があります。
こちらが思っている以上に、高齢者、特に女性の高齢者は「もっと話を聞いて欲しい」「もっと話をしたい」と思っているように思います。
だから、自分では精一杯、話を聞いたり、コミュニケーションを取っているつもりでも、十分に足りているってことはないんじゃないか?と・・・。
そんなとき、親友のように声をかけてくれる人がいてくれたなら・・・。
少しでも、叔母の寂しさ、孤独感を埋めてくれる時間であったに違いないと思うのです。
本当に、親友の○○ちゃん、ありがとう
しかし、世の中、この高齢者の「寂しさ」「孤独感」に付け込んで、悪徳な商売があったりするそうですから、注意は必要ですね~・・・