書く予定のなかった内容と明日は選挙 | ぽちこ~おひとり様が行く~

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「ぽちこ」・・・これは放浪生活を送っていたノラ犬の名前。ぽちこのような安心した老後を見つけたいと願いをこめて。

明日は衆議院議員選挙ですね。
選挙の話はブログで書く予定はありませんでした。
子供のころ「選挙と宗教の話は、家族の中でもしたらアカン」となぜか祖父母に教えらえました。
明治と大正の生まれの二人でしたから、「思想」を表に出すことによって非難を受けるような時代であったのかと思います。
今でも、その言葉が脳裏にあって、約十年前に結婚したとき、義両親が
「○○党に入れるべき」みたいなことを言ってきたとき、びっくりしました
ある意味、自分の思う党、自分の思想を堂々と話せる時代なんだと思ったのですが、捉え方を間違えると「強制的」で、祖父母たちの考えの方が
「家族であっても自分の思うところを信じてよい、でも、そのことは家族間でも言い争いにもなりうるから、黙っていなさい」
というとであったのでは?とも今、思います。

さて、なぜ、今日、触れる予定のない選挙のことを書くハメになったか?
私が読者登録をしているブログに選挙のことから憲法について書かれていたので、
「あ~、そういうことも考えて投票しなきゃ」
と忘れかけていたことに気づいたからです。
憲法の内容が時代遅れのところもあるのかもしれません。
でも、私個人としては、「わりと良くできているな~」と思いながら勉強しています。
「個人として尊重され」(憲法第13条)、そのための実現として「思想良心の自由を侵してはいけない」(第19条)とされ、「宗教の自由」(憲法20条)、「学問の自由」(第23条)や「職業選択の自由」(第22条)などが定められています。
これ、「大日本帝国憲法」時代から考えると随分と進んだ内容だと思います。

祖父母たちの言葉は「個人の思想良心の尊重」だと思いますし、義両親の発言は「表現の自由」ともつながりますし・・・。
就職難で大変な時代ですが、「農家」だから「商売人」にはなれないというような「士農工商」みたいな強制も国からはありませんし、義務教育が保証されているのも日本国憲法できちんと書かれているからでしょう・・・。世界を見たら、学校に行けない子供はたくさんいます。
私が、こうやって書いているのも、公共の福祉に反しなければ、「表現の自由」ですし 明日、選挙も「選挙権」があるから、女性の私も行けます

「右」でも「左」でもありませんが、ただ、
「日々、私たちが暮らしていて当たり前になっていることが、実は憲法によって保証されていたからなんだ」という部分はあるように感じます。

しかし・・・悩みますね、選挙。
「田中角栄」「中曽根康弘」「竹下登」・・・祖父に「何している人?」と聞いていた頃の総理。
あの頃は、総理大臣が度々、交替することがなかったような気がします。
「日本で、一番偉い人や、日本の色んなことを決める人や」
私が尊敬していた祖父が教えてくれた「総理大臣」の定義です。
明日、その「一番偉い人」になってくれる人を私たちは選ばなければなりません