愛のスコール | ぽちこ~おひとり様が行く~

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「ぽちこ」・・・これは放浪生活を送っていたノラ犬の名前。ぽちこのような安心した老後を見つけたいと願いをこめて。

 最近、自動販売機で、スコールをよく見かけます。
今日、たまたま通りがかった近所の自販機で、スコールの「マンゴー」版を見つけました。
「ブルーソーダー」は少し前から、見かけていましたがマンゴーは初めてです。

でも、緑でなかったら「スコール」じゃない・・・と思うのは私だけでしょうか?

 




この「スコール」には思い出があります。

私は、ご幼少のころ、幼稚園のプールでどうやら「結核菌」に感染したらしく、いつ結核を発症してもおかしくない体質が5歳から中学くらいまで続きました。
体育の授業は、小学校5年生まで見学でした。

公立幼稚園でしたから、もし本当にプールが原因だったら「国賠やないかい!」と思うのは、行政法を勉強したせいでしょう・・・。
もはや時効です。
それに、身内に弁護士がいるのに・・・。叔父のころは多分、司法試験に行政法がなかったと思います。

さて、この菌保有者だった私は、それが発病しないように週に2回ほど、奈良医大に通っていました。幼稚園、小学校低学年では、病院の日はだいたい2時間目の途中の10時になると早退していました。宇陀市から奈良医大のある大和八木までは、電車で20分ほどかかります。

毎回ほど、ツベルクリン反応や血液検査、たまにレントゲン。
当時は、今のように、大学病院が予約制ではなく、「ではまた1週間後に」という感じだったので、めちゃくちゃ、下手すると昼の2時ころまで診察を待ちました。

小児科は、私などは、まったく軽い病気の方で(大学病院でしか治療はできませんでしたが)、白血病とか小児がんの子とか、幼稚園児の私より小さい子もたくさん来ていました。
2~3時間の待合時間も、私にとっては「本」が読める時間であり、「九九」を覚える時間でしたが、同時に「あんなに小さいのに、大変だな~、私よりしんどいんだろうな~。お母さんも大変だな」と、幼稚園児のくせに冷静に周りを見ながら長い長い時間を過ごしました。

病院には、同居していた叔母が連れて行ってくれました。
叔母はきちんとした性格でしたから、診察が終わるまで、絶対に飴一つもたべさせてくれませんでした。

診察が終わったら、今度は、会計まちです。これがまた、手作業だったと思われます。
めちゃくちゃ待たされ、夕方です。
すべてが終わって、クタクタになって家のある駅に戻った時、売店で、よく買ってもらったのが「スコール」です。
売店の前で、「飲みながら、歩いたらアカン。ここで飲みや、待っててやるから」と叔母に言われ、あの緑の缶を手にし、疲れた、ご幼少の私の体に、「シュワー」とスコールが吸収されてく、あの美味しさは、今、一仕事してスコールを飲む、あの時の感じに似ています。

そして、今日、スコールを買いました。
今日は、熱が38度近くで、仕事に行きました。
スコールの味も、体が相変わらず弱っちいのも、変わらないな~と思いながら、今日、一日が終わろうとしています