ふるさと(その2) | ぽちこ~おひとり様が行く~

ぽちこ~おひとり様が行く~

「ぽちこ」・・・これは放浪生活を送っていたノラ犬の名前。ぽちこのような安心した老後を見つけたいと願いをこめて。

私は、恥ずかしながら小学校3~4年あたりで音楽Jの授業で習った「ふるさと」の歌詞をとんでもない勘違いをして解釈していた時期があります。
「ウサギ追いし~、かの山~」のあの「ふるさと」です

あの曲に「志を果たして~、いつの日にか・・・かえらん」という節があります。
関西の方では「~しない」(否定)のことを「せえへん」とか「~ん」と使うことがあります。
たとえば、「あんな行政書士は知らない」が「あんな行政書士は知らん」という感じ。
この方言?関西弁?が小学校3年生の私もとんでもない解釈にさせていました。

本来、「ふるさと」は、都会に出たある人が、山あり、美しき川ありの故郷のことを懐かしく思い出して、「いつか自分の志が果たせたら故郷に帰ろう!、帰りたい!」という思いが込められています。
たぶん、ある程度、音楽の時間に説明を受けたはずです。

が・・・、私は「ふるさと」は、田舎に住む母親が、都会に出ていってしまった息子を「立派に志を果たして、仕事が忙しくて、いつの日にか全く故郷に帰ってこないな~と成功を誇りに思いつつも、帰ってこない寂しさを嘆いた歌だと思い込んでいました

これは、大正一桁代に生まれた祖母と昭和十年代に生まれた叔父を想像していたからです。

叔父は、ド田舎の五人兄弟の長男でしたが、貧しい家や兄弟を助けようと猛勉強して、司法試験に合格したのです・・・。でも、ド田舎には、勉強する大学も、司法試験合格後の仕事もありません。叔父は、ずっと実家を出て行ったまま、帰省するのは年に何度かだけ。
それを「ふるさと」に重ね合わせていたのでした。

これを間違いだった!と気づいたのは、高校の古文の時間でした・・・

しかし、現在、同じように志を果たそうとして都会に出て、故郷に帰省できる時間がない人は、ますます増えているのではないでしょうか?

私でさえ、そうなりつつあります。果たした志などなくても・・・です。
心の片隅では、みな、故郷の親のことや親戚のこと、景色・・・たまに思い出したり、気にかけたりしているけど、日々の忙しさと自分たちの生活で精いっぱいです。

2000年から実施された「介護制度」と「成年後見制度」。
この二本柱の支えあいは、高齢化社会を迎えたというだけでなく、叔父のように「帰らん」ようになってしまった人の多さもまた背景にあるのでしょう。