カウンセラー菊井です。
ようやく梅雨明けしましたね。空もカラッとしていて気持ちの良い空気が流れています。いよいよ夏本番のはじまりです。とはいえ、コロナ禍が続く日々、自分なりに工夫しながら過ごすということが求められますね。感染に気をつけながらも季節を感じたり、ストレスをためこまない生活を送りたいものです。
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婚活して、結婚して、人より若干遅いけど幸せを手に入れたと感じたのもつかのま・・・・自分の望んでいた結婚生活って何だったんだろう?と悩む。
とにかく結婚すれば、幸せになれると、一生懸命伴侶を探した。そして、なんとか結婚までたどり着いたのに・・・実際の生活がはじまると、家庭はやすらぐ場所ではなく、妻から責められる場所へとなってしまった。
男性としていろんなことの至らなさがあるのは、わかっているけど、そのことを責めるように日々言われると気が滅入る。
そして、気がついたことと言えば・・・・・
自分の両親の夫婦としての姿、母親がいつも父親に対していろんな言葉で責めていたこと、当時はどうして父親は母親にちゃんと言葉を発しないのだろう、母親はいつも父親に「どうしてちゃんと言ってくれないの?」という言葉を発していた。そんな父親をみて、物足りなさや、ああはなりたくない、と思っていたはずなのに、気がつくと自分の夫としての姿は当時の父親とだんだんだぶってきているようだと感じて愕然としてしまったという。
なんともいえない、自分への感情を感じるとでもいうのでしょうか・・・どうしようもない自分というものや、否定し続けた親の姿が自分の中にあると感じた瞬間の、背筋が寒くなるような感覚。
こんな思いをされる方は意外と多いかもしれません。
こんな親にはなりたくない、親のような夫婦にはなりたくない、そう思っていたのに、気付いたらまるで自分が幼い頃から見ていた親の姿と同じ夫婦をしている・・・
私は、こんな親の姿を見て育ったから こんな夫婦にしかなれないのか・・とまたここで自分を責めてしまう・・・自分のあり方を責めたり、逆に こうやって育ったからだ、と育ちを理由に片付けてしまったりしてしまう。
親から、受け継いだと思うと、自分ではどうしようもないことだ、と思えたり このどうしようもなさに悔しさや悲しさがこみ上げてきたりするものです。
また、いっぽうではその逆もあるのです。
幸せな夫婦の姿を見続けていたのに、現実の自分は・・・親のような幸せな夫婦を手に入れることができなかった、それは自分に何かが足りなかったからか・・と思ったりするわけです。
そう思うと、親とのことは関係ない問題なのだとわかります。
ただ、親と同じような悲しさを感じているという事実、親とは違う悲しさを感じているという事実、この事実の悲しさの理由付けが欲しくなるのです。
どちらにしても、自分が思い描く理想の夫婦になれてないという現実の悲しさが、どうにもこうにも自分の中で処理しきれない、何か理由付けをしたくなるものなのです。
とはいえ、否定したものが自分の中にあると感じることは、何とも言えない感情を受け止めなくてはなりません。この否定していることを受け止めること、これがなかなか厳しいものです。それを受け止めましょうなんてことも言いませんが、受け止められる頃にはちょっぴりの変化が自分の中に生まれているかもしれませんし、否定したことに対して否定することもなかったのかなと思えたりするのかな、なんて思えます。
私自身も母のようにはなりたくない、そう思っていたけど気がつくと母と同じような人生を送っている・・そんなこと感じることがあります。それが、どうしたでもないし、それをどう受け止めようとかそんなことじゃなく、なんだか考えさせられるな〜と思うだけ・・それだけもいいのかなと思います。
人っていろんな面がありますからね・・・今見えることが全てじゃない、今起こっていることが全てじゃない、そんな風にも思います。(何だか支離滅裂です)
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