九十九里浜  智弘院ブログ -3ページ目

九十九里浜  智弘院ブログ

修行体験の出来るお寺です。

法華経の福徳をいただく。
物心両面が豊かになる。

お寺はいつも開いています。
いつでもお待ちしております。




今日は水子供養に若い二人がご来寺、ご供養ではご一緒に経を読み、我が子を想い、静かに手を合わせ祈る姿に、小さな命が教えてくれた「慈悲」の心を感じました。


​日蓮聖人は、親の恩についてこのように説かれました。
​「慈父(じふ)をば天に譬え、悲母(ひも)を大地に譬えたり」

​父の深い愛情は、すべてを包み込む「天」のように。
母の慈しみは、すべての命を育む「大地」のように。

この「慈」と「悲」を合わせて「慈悲(じひ)」と呼びます。

​「慈」とは、楽を与えること。
​「悲」とは、苦しみを取り去ること。

​今日のご供養は、我が子の苦しみを取り除き、安らかな世界へといけるよう、一心に祈られた供養でした。

この世に生を受けることは叶わなかったとしても、二人は立派な「父」であり「母」として、我が子へ注がれた「慈悲」です。
​今回、我が子から教えられたのは、命の尊さと、誰かを想い、手を合わせる心の尊さです。
その流した涙と、優しい祈りの心こそが、二人のこれからの人生を豊かにし、いつかまた出会う新たな命や、周りの方々への優しさへと繋がっていくはずです。




幸せは捉え方で大きく変わりますよね。


​「悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり」
日蓮聖人のお言葉です。

​私たちは「功徳(くどく)」や「ご利益」と聞くと、つい「棚からぼた餅」のような、外から降ってくる幸運をイメージしてしまいがちです。

「信心していれば、何か良いことが向こうからやってくるのではないか」と。

​しかし、聖人はそうはおっしゃらず、功徳とは「心の掃除」と「種まき」と教えています。

​「功」とは、自分の中にある「悪」を滅すること。
ここでいう悪とは、他人を傷つけることだけではありません。
私たちの心を曇らせ、苦しみの原因となる「貪り・怒り・愚かさ」という煩悩のことです。

そして「徳」とは、自分の中に「善」を生じさせること。
人への思いやりや、真実を見極める智慧を育てることです。

​つまり功徳とは、外から与えられる「景品」ではなく、自分の振る舞いによって、自らの内側に湧き上がってくる「いのちの輝き」そのものなのです。

​よく「現世利益(げんぜりえやく)」と言いますが、これは宝くじが当たるとか、病気が魔法のように治るといったことだけを指すのではありません。
​日々の信心、つまり日々の「正しい生き方」の積み重ねこそが、私たちの苦悩を消し去り、安らぎを生み出します。

​怒りに震えていた心が、穏やかになる。
​不平不満ばかりだった口から、感謝の言葉が出る。
​迷いの中にいた自分に、進むべき道が見えてくる。

​この「心の変化」こそが、何物にも代えがたい最大の利益なのです。

そして、​自分の行動で生み出した功徳は、誰に盗まれることも、消えることもありません。

「何か良いことが起きないかな」と待つのではなく、「自ら善い種をまき、悪しき根を断つ」という日々の歩みの中にこそ、真の安らぎと楽しみがあると思うのです。

今日は連日の忙しさで溜まっていた仕事、そして子供修行関連の片づけ、布団や毛布シーツなどの洗濯はしばらくかかりそうです。

鯉のぼりを下ろし、花御堂の片づけ、少し寂しさもある祭りのあとといった感じです。




明日も月例供養会があり、準備の間に急ぎ近所へタマネギを買いに行きました。日曜日は東京のお寺なのでお土産です。

年々、少しづつ値上がりしていますが、仕方ないですね。


白子町の「白子たまねぎ」は、4月下旬~5月が旬のブランド新玉ねぎで、砂質土と潮風のミネラルで育ち、辛みが少なく、みずみずしくて非常に甘いのが特徴です。


スライスサラダがおすすめ、多くの人が買いにきますので、無くなり次第終了、まだ食したことの無い方はお試しくださいませ。


ちなみに、古くから仏教などでは

禁葷食(きんくんしょく)という菜食の思想があり、三厭(さんえん)と呼ばれる獣・魚・鳥、また五葷(ごくん)と呼ばれる、息を臭くし、精力を強めて煩悩のもととなるネギ、ラッキョウ、ニンニク、タマネギ、ニラなど、においの強い野菜を食べることもさけられてきました。


日蓮宗では、普段はなんでもいただきますし、それぞれ僧侶の自己判断で生活をしていますが、行事や修行期間などではお肉や魚を食べることはありません。