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九十九里浜  智弘院ブログ

修行体験の出来るお寺です。

法華経の福徳をいただく。
物心両面が豊かになる。

お寺はいつも開いています。
いつでもお待ちしております。

今日は日蓮聖人が伊豆へ流罪となられた日、法難会を執り行いました。



過酷な境遇の中で綴られた『顕謗法鈔(けんほうぼうしょう)』には、私たちが知らず知らずのうちに積み重ねている「根本の罪(謗法)」について説かれています。

それは「尊いものに目をつむる心」とも言える罪のこと。
正しいこと、大切なこと、世の真理を信じず、軽んじ、馬鹿にし、背を向けてしまう心の在り方です。
これこそが、私たちの苦しみの根本原因であると説かれました。

​では、その罪を乗り越え、正しく生きるにはどうすればよいのか、一つの道しるべとして「四恩抄」もまた流罪中に著されたのでした。

​「知恩をもて最とし、報恩をもて前とす。」

恩の大切さを示し、​日々の生活の中で、生かされている自分に気づき、感謝の心で「報いよう」と一歩踏み出す「報恩」の生き方こそが、私たちの魂に刻まれた罪を滅し、真の安らぎへと繋がる道なのです。

今日は旧飯高檀林、飯高寺に参拝。





1580年から1874年の明治7年まで294年間、廃檀するまで日蓮宗最大の学問所で、最盛期には600~800人ほどの学僧が集まり、多くの名僧を輩出しました。


約67,667平方mの広大な敷地に、国の重要文化財に指定された建物がいくつもあり、境内の杉林が歴史の重みを感じさせてくれます。

祟石の故事や、狐が僧に化けて修行していた(古能葉稲荷大明神)話など、いろいろと伝説があります。


飯高寺から歩いて15分ほどで、所化塚にもお参りしました。



落ち葉で足が沈み、足を取られ、生い茂る木々で昼でも暗く、折れた竹が道をふさいで行く手を阻み、​空気も重い、短い距離なのに一歩一歩がひどく重く感じました。


飯高壇林就学中、志半ばにしてこの世を去った所化(学僧)たちのお墓です。

心を込めて読経唱題、お参りさせていただきました。





そう遠くない過去(江戸時代)でも、飯高檀林は遺跡のように感じてしまうもので、今現在の総本山や大本山も近い将来、遺跡または過去の遺物になってしまうのではないか、過去が大事にされていない現状に、不謹慎ながら思ってしまいます。


そうならない為にも、道を求めた過去の檀林の先輩方に続き、不断の努力が必要。


「我が道法を学習して 昼夜に常に精進す」

法華経従地涌出品

今日は東京でのご祈祷会出仕。



普段は静寂と田園風景広がる田舎に住んでいると、息苦しくて辛いものです。

釈迦仏の本土(ほんど)は実には娑婆世界也

日蓮聖人のお言葉

私たちが住む娑婆世界こそ、お釈迦様が居る世界(本土)。

信仰が異なるということは、浄土が異なるということ。

法華経の信仰は、耐え難い苦難だらけの娑婆世界こそが浄土であると受けとめます。
 
「大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏である」
法華経には説かれます。

この世、この土から離れて私たちは生活できません。
だからこそ、どんな苦難があろうとも、どんな状況だろうとも、この土で、生きていかなければならないのです。

浄土という佛の真実の世界を現していくのが、法華経・お題目の信心です。