九十九里浜  智弘院ブログ

九十九里浜  智弘院ブログ

修行体験の出来るお寺です。

法華経の福徳をいただく。
物心両面が豊かになる。

お寺はいつも開いています。
いつでもお待ちしております。


九十九里浜 智弘院HP


 供養会    写経    座禅   祈願


早朝の参拝、読経座禅作務行など体験できます。

 

 

 

静かに自己を見つめ、心身を浄化し、人生を好転させましょう。


 


寺子屋(第1・3土曜日午前8時~)











夏休みは寺子屋子供修行で頑張っている智弘院ですが、秋の社員研修のお問い合わせや依頼が企業様より入っています。


お寺の社員研修では「意識変革」や「心の鍛錬」を期待しています。

​自己内省とメンタルヘルスの向上

​規律・忍耐力・謙虚さの醸成

チームの一体感や連帯感の強化

​集中力の獲得

リーダーシップ

原点回帰


新入社員や若手、中堅社員、管理職や経営幹部など、それぞれに課題があります。


人生も仕事も人間関係が中心で、自分勝手では上手く進みません。

仏教の智慧と慈悲を通して、社会と自分との関係や今の自分がある理由などを学び、感謝と謙虚さを持ち、企業や社会に貢献できる人材を育てることを目的とします。






今日は月例の施餓鬼供養、お参りの方々とともに御先祖様へ感謝の祈りを捧げました。

法要後の法話で、境内の蓮の花が教えてくれたことをお話させていただきました。
長年、「境内に蓮を沢山咲かせたい」と願っていたことが、ようやく今年叶いました。

住職が鉢と土を用意し、種を植え、水をやり、毎日大切に育ててきました。
そして、驚くほど見事な蓮の花が咲いたのです。

「全部、住職さんが作ったんですか?」

そう聞かれれば、実際に植えて、水をやって育てたのですから、「はい」と答えます。

「短期間で、よくこんなにたくさんの花を咲かせることができましたね。すごいですね!」
そんな言葉をいただくこともありました。

けれど、よくよく考えてみると、自分がしたことは、ほんのわずかなことだったのです。
蓮を育ててくれたのは、
土。
太陽の光。
水。
そして、自然そのものの力。
一つひとつの力が重なり合って、初めて花が咲いたのです。

大きく見れば、蓮を育ててくださったのは、仏さまなのではないでしょうか。

「自分が育てた」
と思うのではなく、たくさんの力に支えられて、花を咲かせることができた。
そのことに気づかされたのです。

私たちも同じです。
自分の力だけで生きているのではありません。
誰かの力、自然の恵み、目には見えないたくさんのご縁に支えられて生きています。

だからこそ、おごり高ぶらず、すべてを「お陰さま」といただく。
蓮の花を見ながら、そんなことを教えられました。

目の前の食事にも「お陰さま」があります。
智弘院では子供修行があり、その中で、食事の時にこんなことを教えることがあります。

目の前に運ばれてきた、この食事。
「誰に感謝しますか?」
そう聞くと、多くの子どもたちは、
「作ってくれた人!」
と答えるでしょう。
もちろん、それも大切な感謝です。

けれど、それだけではありません。
この一食が、私たちの目の前に届くまでには、たくさんの人や自然の力が関わっています。
まず、食べ物を育ててくださった農家の方。
その農作物を育てるために力を与えてくれた、太陽や雨、土、水などの自然の恵み。
そして、収穫されたものを運び、出荷する人。
店頭に並べる人。
それを購入する人。
料理をする人。
盛り付ける人。
そして、目の前まで運んでくれる人。
たくさんの時間と、たくさんの人の働きが重なって、ようやく今、私たちの目の前に食事があります。

だから、
「いただきます」
という言葉には、たくさんの「お陰さま」への感謝が込められているのです。

そして、食事とは、命をいただくことでもあります。
その命に感謝し、ありがたくいただく。それもまた、仏さまの教えにつながっていきます。

今日の施餓鬼供養も「お陰さま」であり、同じことではないでしょうか。
私たちが今、生きているということ。
この身体を授かり、今日まで命をつないでこられたこと。
そこには、先祖から続く長い命のつながりがあります。

だからこそ、私たちが生きている間に、先祖に感謝し、できる限り供養をさせていただく。
「自分一人で生きている」のではなく、たくさんの命とご縁の上に、今の自分がある。
そのことを忘れないことが大切なのです。

施餓鬼供養とは、餓鬼道に苦しむ霊を供養することでもあります。
そして同時に、
「自分さえよければいい」という自己中心の心にならないよう、自分自身を見つめ直すことでもあるのだと教わります。

「私が、私が」と、自分のことばかりを考えるのではなく、誰かのお陰で生かされていることに気づく。
そして、その「お陰さま」に感謝する。
それがお題目の心であり、蓮華が私たちに教えてくれることでもあるのではないでしょうか。

蓮の花は、自分の力だけで咲いたのではありません。
私たちも、自分の力だけで生きているのではありません。

目に見えるもの。
目に見えないもの。
人の力。
自然の恵み。
ご先祖さまから続く命。
そのすべてが重なり合って、今の私たちがあります。

だから、「お陰さま」という心を忘れない。
おごらず、感謝を忘れず、人のためにできることをする。
その積み重ねが、私たち自身の心を整え、仏さまの教えに沿った生き方につながっていくのだと思います。

境内に咲いた一輪の蓮。
その花を眺めながら、
「自分が咲かせた」のではなく、
たくさんのお陰さまによって、咲いてくれた。
そんなことを、あらためて感じさせていただきました。
合掌


今日は坐禅会、姿勢と呼吸と心を調えます。

心が静まることで、初めて物事をありのままに見る鋭い心、智慧が磨かれます。

智慧とは単なる知識やIQのような頭の良さではなく、物の真実の姿をありのままに見抜き、執着を離れた澄み切った心です。

​私たちは誰もが、一人きりでは生きていけません。

自分「だけ」を大切にしようと閉じこもると、かえって心に角が立ち、怒りや悲しみが湧き上がってしまうものです。

周りの誰かをないがしろにしていては、本当の安らぎは訪れません。

智慧の眼で見れば、​仏教でいう「縁起(えんぎ)」という、私たちは目に見えない繋がりの中で互いに支え合って生きており、自分と無関係なものなど何一つないと悟ることが出来ます。

​自分だけでなく、共に生きる「私達」をあたたかく慈しむ心も生まれます。

その思いやりの心が、巡り巡って私たち自身の心に、穏やかな光を灯してくれるのです。