
幸せは捉え方で大きく変わりますよね。
「悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり」
日蓮聖人のお言葉です。
私たちは「功徳(くどく)」や「ご利益」と聞くと、つい「棚からぼた餅」のような、外から降ってくる幸運をイメージしてしまいがちです。
「信心していれば、何か良いことが向こうからやってくるのではないか」と。
しかし、聖人はそうはおっしゃらず、功徳とは「心の掃除」と「種まき」と教えています。
「功」とは、自分の中にある「悪」を滅すること。
ここでいう悪とは、他人を傷つけることだけではありません。
私たちの心を曇らせ、苦しみの原因となる「貪り・怒り・愚かさ」という煩悩のことです。
そして「徳」とは、自分の中に「善」を生じさせること。
人への思いやりや、真実を見極める智慧を育てることです。
つまり功徳とは、外から与えられる「景品」ではなく、自分の振る舞いによって、自らの内側に湧き上がってくる「いのちの輝き」そのものなのです。
よく「現世利益(げんぜりえやく)」と言いますが、これは宝くじが当たるとか、病気が魔法のように治るといったことだけを指すのではありません。
日々の信心、つまり日々の「正しい生き方」の積み重ねこそが、私たちの苦悩を消し去り、安らぎを生み出します。
怒りに震えていた心が、穏やかになる。
不平不満ばかりだった口から、感謝の言葉が出る。
迷いの中にいた自分に、進むべき道が見えてくる。
この「心の変化」こそが、何物にも代えがたい最大の利益なのです。
そして、自分の行動で生み出した功徳は、誰に盗まれることも、消えることもありません。
「何か良いことが起きないかな」と待つのではなく、「自ら善い種をまき、悪しき根を断つ」という日々の歩みの中にこそ、真の安らぎと楽しみがあると思うのです。