九十九里浜  智弘院ブログ

九十九里浜  智弘院ブログ

修行体験の出来るお寺です。

法華経の福徳をいただく。
物心両面が豊かになる。

お寺はいつも開いています。
いつでもお待ちしております。


九十九里浜 智弘院HP


 供養会    写経    座禅   祈願


早朝の参拝、読経座禅作務行など体験できます。

 

 

 

静かに自己を見つめ、心身を浄化し、人生を好転させましょう。


 


寺子屋(第1・3土曜日午前8時~)










今日は東京でのご祈祷会出仕。



普段は静寂と田園風景広がる田舎に住んでいると、息苦しくて辛いものです。

釈迦仏の本土(ほんど)は実には娑婆世界也

日蓮聖人のお言葉

私たちが住む娑婆世界こそ、お釈迦様が居る世界(本土)。

信仰が異なるということは、浄土が異なるということ。

法華経の信仰は、耐え難い苦難だらけの娑婆世界こそが浄土であると受けとめます。
 
「大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏である」
法華経には説かれます。

この世、この土から離れて私たちは生活できません。
だからこそ、どんな苦難があろうとも、どんな状況だろうとも、この土で、生きていかなければならないのです。

浄土という佛の真実の世界を現していくのが、法華経・お題目の信心です。




今日は水子供養に若い二人がご来寺、ご供養ではご一緒に経を読み、我が子を想い、静かに手を合わせ祈る姿に、小さな命が教えてくれた「慈悲」の心を感じました。


​日蓮聖人は、親の恩についてこのように説かれました。
​「慈父(じふ)をば天に譬え、悲母(ひも)を大地に譬えたり」

​父の深い愛情は、すべてを包み込む「天」のように。
母の慈しみは、すべての命を育む「大地」のように。

この「慈」と「悲」を合わせて「慈悲(じひ)」と呼びます。

​「慈」とは、楽を与えること。
​「悲」とは、苦しみを取り去ること。

​今日のご供養は、我が子の苦しみを取り除き、安らかな世界へといけるよう、一心に祈られた供養でした。

この世に生を受けることは叶わなかったとしても、二人は立派な「父」であり「母」として、我が子へ注がれた「慈悲」です。
​今回、我が子から教えられたのは、命の尊さと、誰かを想い、手を合わせる心の尊さです。
その流した涙と、優しい祈りの心こそが、二人のこれからの人生を豊かにし、いつかまた出会う新たな命や、周りの方々への優しさへと繋がっていくはずです。




幸せは捉え方で大きく変わりますよね。


​「悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり」
日蓮聖人のお言葉です。

​私たちは「功徳(くどく)」や「ご利益」と聞くと、つい「棚からぼた餅」のような、外から降ってくる幸運をイメージしてしまいがちです。

「信心していれば、何か良いことが向こうからやってくるのではないか」と。

​しかし、聖人はそうはおっしゃらず、功徳とは「心の掃除」と「種まき」と教えています。

​「功」とは、自分の中にある「悪」を滅すること。
ここでいう悪とは、他人を傷つけることだけではありません。
私たちの心を曇らせ、苦しみの原因となる「貪り・怒り・愚かさ」という煩悩のことです。

そして「徳」とは、自分の中に「善」を生じさせること。
人への思いやりや、真実を見極める智慧を育てることです。

​つまり功徳とは、外から与えられる「景品」ではなく、自分の振る舞いによって、自らの内側に湧き上がってくる「いのちの輝き」そのものなのです。

​よく「現世利益(げんぜりえやく)」と言いますが、これは宝くじが当たるとか、病気が魔法のように治るといったことだけを指すのではありません。
​日々の信心、つまり日々の「正しい生き方」の積み重ねこそが、私たちの苦悩を消し去り、安らぎを生み出します。

​怒りに震えていた心が、穏やかになる。
​不平不満ばかりだった口から、感謝の言葉が出る。
​迷いの中にいた自分に、進むべき道が見えてくる。

​この「心の変化」こそが、何物にも代えがたい最大の利益なのです。

そして、​自分の行動で生み出した功徳は、誰に盗まれることも、消えることもありません。

「何か良いことが起きないかな」と待つのではなく、「自ら善い種をまき、悪しき根を断つ」という日々の歩みの中にこそ、真の安らぎと楽しみがあると思うのです。