六文銭 パート2 | 九十九里浜  智弘院ブログ

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修行体験の出来るお寺です。

法華経の福徳をいただく。
物心両面が豊かになる。

お寺はいつも開いています。
いつでもお待ちしております。

六文銭(2

 

柔軟性って、大事ですよね。

加減がいい、という「いいかげん」。

 

 

単純にシンプルに考えることは大切ですが、実際の生活は、複雑な要素が絡み合っていることがほとんどで、上手くいかないこともあります。


 

決断力は必要ですが、世の中を見ますと、

勝つか、負けるか。

大好きか、大嫌いか。

全力か、ゼロか。
なんでも白黒はっきりさせて、柔軟性がなく、頑なになる人もいます。

忍耐力もないと、いつの間にか自分を追い詰め、周りの人とは、ぶつかることばかり、そんな行動ばかりだと、とても生きづらくなります。

 

もちろん白黒はっきりさせたほうが良い時も沢山ありますが、状況に応じて臨機応変にできる智慧も必要です。


 

お彼岸

春分と秋分は太陽が真東からのぼって真西に沈み、昼と夜の長さが等しいことから、これは陰陽同時・善悪不二を表するもので、煩悩を離れて悟りの境地に至ろうとする仏教の中道(偏りをもたないこと)の思想に合致しますので、仏教ではこの時期を非常に重要視します。


 

お彼岸時期は「暑さ寒さも彼岸まで」といわれているように、一年中でもっとも気候のよい時でもあり、なぜ春秋の両彼岸を修するのかといえば、この時期に善い行いをする功徳は、ほかの時に修する功徳よりも勝れているといわれており、これが成仏(彼岸に到る)のための絶好の機会とされているからです。


 

お彼岸にお墓参りをすることは、

春の種まきや秋の収穫など、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、墓参の風習になり、祖先の霊を供養するお彼岸は大切な行事となりました。


 

お彼岸はいつから行われているのか?

古くは『日本後記』の中に大同元年(806)に早良親王のために僧を集めて法要を開いたとあります。


 

到彼岸(とうひがん)
煩悩や悩みを越えて到達する悟りの境地。

この「彼岸に到達する」という言葉、サンスクリット語のパーラミター(波羅蜜多)が語源です。


 

六波羅蜜(ろくはらみつ)

「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれ、一般的に仏教では彼岸に行く方法は、六つの徳目の実践とされています。


 

布施波羅蜜(ふせ)   - 分け与えること。

持戒波羅蜜(じかい) - 戒律を守ること。

忍辱波羅蜜(にんにく) - 耐え忍ぶこと。

精進波羅蜜(しょうじん)- 努力すること。

禅定波羅蜜(ぜんじょう)- 心を集中して、安定すること。

智慧波羅蜜(ちえ)   - 物事が良く分かり、惑わない智慧。


 

この六項目を三つに分けて解説しますと。(龍樹『宝行王正論 』)

布施・持戒 -「利他」

忍辱・精進 -「自利」

禅定・智慧 -「解脱」


 

 

つまり、お釈迦さまの教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」です。

自分自身を向上させ、他の役に立ち、そして人間生活に伴うあらゆる苦悩などの束縛から開放されて、自由になることを目的にします。


 

此岸より、煩悩の川を越えて、彼岸に渡る為に



 

お中日の前後六日間は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの人生の心構え(六波羅蜜)を実践することを意識させる修行期間とされています。 

 

ここまで来ますと、お解りかと思いますが、前回お話しました「三途の川の渡し賃」六文銭というのは、実践で得られた六波羅蜜という心の徳のことです。


 

六道とか六地蔵とか、諸説挙げたらきりがありませんが、煩悩や迷いという「川を渡るために必要なもの」とは、自分の心です。

 

 

日蓮聖人は、悩みを離れて悟りは無いように、彼岸は遠いかなたにあるのではなく、日々揺れ動く自分の中にあると説かれています。


 

六文銭は、自分で自分を育てながら手にする、心の貯金です。

自分の人生を歩みながら、小さな出来ることから始めて、いつしか心が洗われて、彼岸への一歩を踏み出している。 


 

先祖を想い、亡くなった人を偲び、併せて無縁の墓にも、一把の花、一杯の水、一本の線香を捧げる気持ちのもたらす味わいこそ、到彼岸の第一歩だと思います。