風ニモ負ケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌と少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイフモノニ
ワタシハナリタイ
11月3日、賢治の手帳より
帰宅後しばらく、詩について、逡巡していました
詩の入り口は、冒頭の有名な一篇 だったのですが、
小学生の時は、直感的に この詩は
励ましてくれているんだと思っていました
折に触れて読み返しているうちに、
「負けるな」というのは「勝て」ということとほぼ同義で
本当に励ましとして効果的なのは、
むしろ後者じゃないか と思い始めました
だけど打ちのめされているとき響いてこないんですよね
言葉が
なぜ「負ケズ」に魅かれるのか
その裏に負けている心があることを
前提としているからなんですよね
人が直感的に言外の言葉や思いを 呑み込んでいるんだなと
会得した瞬間でした (それから打消し語を多用する時期があり、
見返した時にうんざりしたという後日談もありますが…笑)
そういった雑念を受けての糸井さんの言葉はいたみいります
見えないものとか、
聞こえない声だとか、
あえて言ってないこととか、
うまく言えないままのこととか、
そういうことのほうが、
ずっと多いのだということを、
ぼくたちは忘れそうになる。
「小さいことばを歌う場所」より