かんぽ生命の民営化 | 秋山のブログ

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「官から民へ」というのは、小泉首相が連呼していたスローガンだ。しかしこれは常に正しいと言える方針ではない。従っておけば大凡正しい内容でもない。ケースバイケースで、個々の事例に対してどちらが好ましいか、効率的か検証する必要があるというのが正解だろう。

 

小泉政権が強く推し進めていたことに、郵政民営化がある。その時に民営化されたかんぽ生命が、今大きな問題として取り上げられている。老人を騙して不利益な契約を結ばせた事例が大量に見つかったという話だ。テレビ番組で高橋洋一氏が、中途半端な民営化であったからこんなことになったと主張していた。途中で民間から来た優秀な経営者が追い出されたので、まともなマネージメントができなくなってこんなことになったといった話だ。しかし株主が企業の従業員や企業自体の利益を無視した経営者を据えることだって有り得る話で、その場合は株主の権利としてそのことが正当化されるために目立たないだけだ。国有だとダメな経営者が選ばれると考えるとしたらそれは飛躍し過ぎだろう。

同じく中途半端だとしている別の場所ではアフラックに忖度して競合した業務をおこなわなかったことが指摘されていたりする。それに関しても、国有のデメリットがもろに出た形だが、国による露骨な私企業への利益供与は本来かけらも許されるべき話ではない。国有なら一般的におこるということではない。防ぎ得ることである。

結局のところ中途半端な民営化が原因だとする主張は、郵政民営化に対する批判に対抗するための方便であろう。半公半民は市場機能を上手く使う方法の一つである。

 

かんぽ生命の事例はどう考えてもひどすぎるが、他の生命保険会社の業務も似たような要素を持っている。保険に関してその内容をしっかり理解することはなかなか困難であるし、そもそも人は生活上のリスクを正確に判断することなどできない。保険は集めたお金を成長率以下の運用で増やしたものを分配することしかできないものである。多種多様な保険は情報を複雑にし合理的な思考を乱して購入させるためであることが多く、本来の保険の目的からは単純な設計でよいはずだ。保険を売るためのCMにかかる莫大な費用や、保険の営業の多くの人員の人件費、そして保険会社が株主に支払う配当は、払った保険料から戻ってこないわけで、公的に作った場合に比べて国民にとって効率的かどうかはかなり疑問である。公的保険であればさらに、当初の予定と違って支払う金が足りなくなっても、MMT的に政府が負債を負って支払うという技を使うことも可能という大きなアドバンテージも持つ。そして何より公的にやった方がはるかに効率的であるという実例もあるのだ。日本の健康保険制度の実績は、公的な保険は民間が作ったものよりも効率の面で必ず落ちるはずといった主流派経済学者が主張しそうな話を完全に否定している。

 

保険という業務は、民間がやる必要のない業務、もしくは国が主体的にコントロールすべき業務の一つだと思われる。しかしむしろ逆であるかのように喧伝され、そして一般に信じられてもいる。何故そんなことがおこるかと言えば、それは所謂美味しい業務だからということだろう。儲けというのは市場の失敗を利用すると大きくなる。そしてそれを放置すれば経済は歪むのだ。失われた30年は、国の介入を阻害し、市場の失敗を放置してきた結果である。もしくは構造改革と称して、国のすべき仕事を営利企業に譲り渡した結果である。