雇用と経済の関係 | 秋山のブログ

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「戦後経済史は嘘ばかり」の最終章から。雇用問題について。

 

高橋氏の主張は、『終身雇用の慣行ができたのは、戦後の高度成長期のころ』であり、これは当時の状況が生み出したものであって、『「日本の長い歴史の中で培われたもの」などではない』ということ、これが可能だった理由は『とびきり有利な為替レート』のおかげであるといったものである。為替レートが変わり、むしろ不利になったことで継続不能になっているとも主張している。

 

確かに高橋氏の指摘通り、戦前は全くそのようなことはなかったので、当時の状況が生み出したという理解は間違っていないだろう。ただ労働者を家族のように扱うという考え方自体は、相当日本的と言ってよく、そのような意味では長い歴史で培われたと言えなくもない。まあ、これはだからなんだという話なので別にいいだろう。

問題は有利な為替レートこそがこの状況を作ったという理解である。有利な為替レートで起こったことは、米国に対して強い商品競争力を得て、経常収支の黒字をもたらしたことである。

 

ここで基本的なことを確認する。国内における経済行為も他国との貿易も、分業によって生産能力を高める行為である。貨幣や市場の存在が、技術の進歩とともに、人類の生産能力を著しく高めてきた。しかし現在、その生産能力を最大限に発揮しているかといえば、全くそうではないだろう。人手不足に悩み、各人が最大限働いてこれ以上生産できないような職場もあるだろうが、それは現実には少数で、客がいるならもっと供給できる職場の方がはるかに多い。それは貨幣にしろ市場にしろ不完全であり、市場の失敗や、価格に関する人間の主観の不完全さから、適切な分配がおこなわれないために、生産能力が最大限いかされることなどないからである。供給力がつけば需要が追いつくかのような考えや、需要が供給に追いついていない状況は僅かな揺らぎに過ぎないなどという考えは、思想でであって現実で確認されたものなのではなく、むしろ現実をみれば完全に間違っている(潜在GDPをみて100%又はそれ以上になっていると主張する人間をたまに見かけるが、それはある時点を100%と仮定しているからそうなるのである)。

 

貿易収支の黒字は、国民が使うためのモノを生産する以外のモノの生産であるから、国民にとっては無駄な生産である。日本がドルを持つことは政治的なメリットは多々あるが、直接的な国民の厚生には繋がらない。しかし余って使われなかった労働力に対価が支払われたことで、景気には好影響を与えている。これは国が借金をしておこなう財政政策と同じ構造である。国の代わりに外国が借金をしてくれたという違いしかない。であれば、輸出を増やすよりも財政政策をおこなう方が理にかなっているだろう。

逆に輸入は国民の厚生を増大させる手っ取り早い方法である。その点では通貨は高い方が都合がいい。しかし言うまでもなく、輸入に頼っていれば技術等の進歩は遅れるだろう(逆に言えば輸出は直接的には無駄だが技術進歩には繋がる)。そして、貨幣の流出は負の財政政策となる。

 

高橋氏が終身雇用に肯定的でないのは、小泉内閣時に、非正規雇用解禁をおこなったからだと思われる。失業率低下が経済政策をおこなう上で重要だというのはもちろん正しいが、それだけで十分だと考えるのは誤りである。ワークシェアリングで失業率が下がることはプラスにならないからだ。非正規雇用が労働者にとって利益があるといった話は、よく使われた詭弁だが、珍しい例をあげただけで全く意味はない。それよりも問題となるのは、終身雇用が崩れ、非正規雇用が増えたことによって、労働者の賃金の低下が起こったことである。データ的にあまり下がっていないように見えて、終身雇用なら後で上昇していたはずの分や、高額な退職金の減少は大きい。労働者は消費者でもあることを失念してはならない。非正規雇用解禁も、長期に渡る日本の不景気の原因の1つである。

 

有利な為替相場では、投資家も労働者もどちらも儲けられる。しかし儲けることを重要視するのは重商主義的であって、マクロの経済政策としては正しい視点ではない。金利を上げると景気が悪くなるように、労働者を犠牲にして投資家を儲けさせる政策は、景気を悪化させるだけだ。正しい政策は、労働者の賃金が下がらないように目を配りながら、財政政策、金融政策をおこなっていくというものである。