1円たりとも下げてはいけない | 秋山のブログ

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日本人の生産性をぐぐれば、それが先進国の中で特に低いという話がすぐに出てくる。勤勉で能力も高いはずの日本人が何故という話にもなるが、実は能力が低いとか、実は勤勉でないとか、サービス業が足を引っ張っているとか、実に馬鹿馬鹿しい主張が見られる。それらの主張に共通している間違いは、価格が適切な尺度であるという思い込みである。また日本のモノと外国のモノと同じようなモノでも、まったく違うということにも気付いていない。

 

為替の問題はもちろん大きい。日本以外のほとんどの国は物価も賃金も上昇している。とすればモノの価値が同じであればどんどん円高になっていくはずだ(もちろん為替はそれのみによって決まるわけではない)。ところがそれとは全く関係ない動きになっていて差は大きくなっている。最近のヨーロッパでの日本食に関する番組等でその価格を見れば理解できるだろう。

 

為替以外にも注意しなくてはいけないことがある。

医療の話になるが、最近厚労省から、診療の際にこれこれといった書類を書けとか、なんとかという会議を定期的にやれとかの話が増えている。診療の質を上げるために有意義なものもあるが、これによって得られる料金は増えない(しないと減らされる)。そして医師の仕事は増加である。すなわちこれは労働あたりの利益が減少しているということである。私はまだのんびり仕事をして残業も少ないからよいとしても、ブラックな残業を余儀なくされている医師もたくさんいる。純粋に時間あたりの生産性の減少になる場合も多いだろう。

そしてこれは他の多くの業種でおこっていることだ。競争でより質のよいものを生産するためにより多くの労力が必要になることもあるだろう。しかし価格が上がらなかったのであれば、それは生産性を下げられたということに他ならない。生産した数量が増えた場合より分かりにくいが、質の上昇の場合も価格を上げることを考えるべきだろう(しかし質の判断は困難なので、例えば質が悪いが安い製品が入ってくると、よい製品の価格が下がることもおこりうる)。

 

低価格競争は安くものが買えるのでよいことのようにも思えるが、価格が下がる理由が時間あたりの賃金の低下であれば、経済全体では良い効果は相殺される。まして内部留保を増やしたり、配当を増やしたりするための賃金低下は百害あって一利なしだ。技術革新によって労なく多く生産出来たなら価格低下もありうるが、多く作った分利益が上がり、よくなった分価格が上がるのは自然なことである。

本来、公正な競争下にあるならば大きな利潤は得られないはずである。大きな利潤を得ようとする経営者は、市場の失敗を利用しようとしている。労働者の賃金はピケティが示したように悪化しており適正には程遠い。市場機能は適切に働いていない。放置されれば適切に働かないことは歴史が証明していたはずなのだ。そのため資本主義は修正されたはずなのに、むしろ改悪されて新自由主義として戻ってきた。

 

価格が上がらないのは、貨幣が増加しないためであり、労働者の賃金が増加しないからである。デフレで価格は下がる、為替は上がらない、女性活用だ移民だなどと労働者を増やすことだけはする(質は上がる)といったことがおこなわれていれば、生産性(国民一人が供給したモノの価格)が下がっていくのは当たり前のことである。

貨幣が増加しないのは政策の間違いであり、どうしようもないということもあるが、賃金の増加は常に考えねばならない。そして貯めずに使うことが、企業の設備投資を生み、貨幣を増加させる。賃金が下がるのを容認してはいけない。(生活費の上昇や、仕事量の増加などの相対的な賃金の低下も同じ意味を持つ)