企業の価値と淘汰 | 秋山のブログ

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「今までで一番やさしい経済の教科書」のP84にはゼロ金利よって企業の淘汰が進まなくなり、それは経済の発展にとってよくないといったことが書かれている。これはまさに、低金利を嫌う投資家の御用経済学者の考えた屁理屈であり、まったくの誤りだ。

理論的には、完全な競争状態にあるならば、その企業の能力にはあまり関係なく、利益は限りなくゼロに近づくはずである。しかしながら現実的に利益が存在するのは、企業に独占性などのアドバンテージがあるためであり、利益率の高さはむしろその立場に負うところが大きい。つまり、収益の大小では、企業の優劣は計れないのである。

また、貨幣は誰かが借り入れをおこなわない限り増えることは決してない。利子の分、金融資産を増やしているものがいるとしたら、その分の負債を誰かが負っている。通常経済規模に比例した借り入れがあると考えれば、すなわち成長率が平均して大凡限度となるはずである。現在の日本の成長率を考えれば、ゼロでも劣悪企業ではないだろう。(実際は国が赤字を積み重ねている分、利益を出せる)

効率の悪い企業が生き残るので、経済によくないという話はナンセンスだ。既に述べたように企業の優劣と収益は必ずしも一致しない。技術に優れた企業が、資本力が大きいだけの企業に負けることもしばしばある。政治に強い企業、裁判に強い企業を、本当の意味で生産性が高い企業と呼ぶべきではないだろう。
それより何より破綻の損失を軽く見積もり過ぎだ。ダメ企業でも何らかのノウハウはたくさん持っているだろう。それ以外でも積み上げてきた資産は大きく、それを捨ててしまうのは全くもったいない。経営者がダメなら経営者をすげ替えればいいだけだし、別にフィルム会社が化粧品を作ったっていいのだ。最初から立ち上げるのは、全く無駄が多い。それらの損失とくらべて、淘汰される企業と生き残る企業の差は桁違いに小さいものだろう。
さらに、淘汰によって独占が進むことも問題であろう。


金利が低くなることのデメリットの説明に、劣悪企業の延命というものがあります。劣悪な企業が生き残るために経済の効率が損なわれるという話です。これはもっともらしくも見えますが、少し考えれば全く正しくないことが分かる詭弁に過ぎません。このような嘘を流す意図は、まずは利率を高くして、より多くの利息や配当をもらいたいというものです。次に、投機的市場において破綻にともなう利益を上げることも目的となります。ゼロサムゲームである投機的市場においては、損をする人間がいないと利益を上げられません。従って本来経済全体にとっては望ましい価格の安定よりも、乱高下の方が投機家にとっては望ましいことになります。破綻というのはその最たるものでしょう。(乱高下は資本が大きいほど有利になります)

本当に劣悪な企業は、金利が多少低くなっても生き残ることはできないでしょう。銀行もそんなところを助けることもないはずです。
昨今の低成長率の経済状況であれば、ほとんど金利を払えないというのは、その企業の能力が低いことを意味しているわけではありません。金利や配当にするために得られる利益の総枠は決まっています。つまり、銀行が支援するような会社には、そこそこの能力があり、維持すべき知識、技術があるということでしょう。破綻推進論は、これらが失われる社会的損失を全く考慮していません。若干の金利差で生死が別れる企業の差は、スクラップアンドビルドのコストにとても追いつかないでしょう。

企業の救済に関して、モラルハザードになるという話だけで反対する人もいます。しかし、経済の状況は容易に予測し、対応できるものではありません。それを全て企業に任せるならば、内部留保にはげむといった愚行に走ることにもなるでしょう。国や銀行は、適切な基準によって、積み上げてきた知識、技術という資産を保護するために、企業を支援する活動をおこなうべきです。(法人税を払うということの見返りとして、そのようなシステムがあってもよいと思います)