利率とバブル | 秋山のブログ

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いろいろ巡回していたら青木泰樹という方が書いた文章を見つけた。新古典派に関しても、リフレ派に関しても批判的な立場からいい文章を書かれている。特に新古典派に関するは文章は、分かり易く良かった。リフレ派に関する文章もなかなかよかったのだが、実は大きく引っかかるところがあった。金融緩和の果てにバブルがおこるという主張である。金融緩和はすなわち国債の金利を人為的に下げる金融抑制に他ならない。運用に国債を当てにしていた人間は、その金利の低さからも、購入できる限度額からも、別の運用を考えざるを得なくなるということだ。資金の少なからぬ部分が株式市場に流れるわけで、株価の上昇は当然起こるだろう。しかしこれは本来はバブルと呼ぶべきものではないと考える。株価自体がそもそも虚像に過ぎないもので、今買われたものが売られて元の価格に戻るのは普段からある当たり前の現象である。問題とすべきバブルとは、日本のバブル期に起こった、高く上がった地価や株価を担保にお金を借りて、土地や株を買ってその結果価格がどんどん上がるとという異常な上昇のことであろう。生産活動と関係のない狂った融資をしなければ、そんなことは起こらない。青木氏は、金利によく反応するのは実物投資でなくて金融投資であると述べているが、金融投資なら無制限に融資を受けられるなどというわけでもないだろう。

青木氏は金利の低下が実物投資にはよい影響を与えないと考えているようである。実物投資をおこなうかどうかの判断に関して言えば、金利はブレーキに過ぎないものであり、有効需要が足りない状況で多少金利が下がったところで影響は出るわけもない。しかし、以前も書いたもう一つの経路があるのである。以前書いたものを今読み返せばちょっと要領を得ていないので、説明し直そうと思う。
企業が売り上げて得たお金から原材料費を抜いたものから、人件費や諸経費がさらに除かれたものが企業の利益である。企業の利益は、法人税でいくらか取られた後、配当になったり、内部留保になったり、借金の返済にまわったりするわけだが、同じ売上においてそれらのどれかを増やそうとすれば他のどれかが減らざるを得ないものだ。逆にどれかが減ることになれば、別のどれかが増えるということになる。銀行に借りていた場合の金利は諸経費の大きな要素であるから、利率が下がっているということは、より人件費に回しやすい社会になるということである。また、配当は銀行の利率が高ければより高くしなければ株が売れなくなることになるわけであるから、利率の変化は配当にも影響することになる。つまり低い利率は配当を下げて、人件費を上げ易くする作用があるのである。さらに内部留保に関しても減らす方向に働くだろう。そしてマクロにおいて人件費が上がっていくことは、有効需要が増大するということに他ならない。有効需要が増えたことによって、経営者は実物投資を始めるだろう。

現在の日本において、国が借金を増やして、財政政策をおこなって景気を良くしていくという考えは正しい。しかし国が借金を増やした分が、一般の国民に回らずに資本家の懐に収まるならば意味は無いのである。高い利率、それに付随する高い配当は、よい循環を妨げるバケツに開いた大きな穴だ。財政政策だけでは解決できずに、金融政策も必須であることは、このマクロ経済の構造を理解していれば分かるはずと考える。