国際価値論に挑戦する | 秋山のブログ

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国によって物価の違いがある。途上国のある国での収入は日本の何十分の一であったりもする。とてもひもじいようにも思えるが、実際ひもじい場合も少なくないが、収入が何十分の一であるといっても何十分の一の生活を送っているわけではない。食料にしろ、居住費にしろ、その収入に見合ったように安いからだ。要するに物価が違うのである。では、この物価の違いを生むのは何だろうか。

まず現代でなく、昔を考える。ほとんどのものは自給自足で、輸出入は経済のごく一部だった時代だ。また、相手の国の通貨は全く信用の対象にならず、金等の貴金属を中心とした取引きであろう。貿易をおこなうコストも莫大である。
この場合、輸出品、輸入品の価値が金等に比較してどの程度の価値があるかで価格が決まるだろう。希少性は若干価格に影響を与えるが、価格を支配するなどということは全くないだろう。一方、生産コストもちろん関係していて、それ以下の価格では取引きが成立することはないだろう。

近代のインドとイギリスを考えてみよう。貿易と国内市場のみを考える。技術力のないインドは高度な工業製品は作れないが、イギリスでは絶対作れない香辛料が取れる。インドでは自分で作れない高度な工業製品の価値は高いだろう。イギリスの商人はできる限り高い価格でできるだけ多くインドで売ろうとするだろう。独占に基づく生産コストに大きく上乗せした価格、基本的に相手が払っていいと考える最大に近い価格だ。多く売れたところで、価格はほとんど安くならない(最大限に供給もできないが、価格が安くならないのはそのためではない)。一方香辛料はインド国内の生活者に向けた価格でイギリス商人は買うことができるだろう。

香辛料を作るための労働力はと食料を作るための労働力と大差ないであろう。独占性も高くないので、香辛料と食料はインドにおいて大差ない価格になるだろう。一方インドにおける高度な工業製品は高額だ。ところがイギリスにおいて工業製品は工場での大量生産で、少ない人数で生産できる。イギリスにおいては、その価格は食料等に比して高くないだろう。貴金属に対する価値観も諸国で(特に昔は)異なるのでそこも計算に入れなくてはいけないが、同程度と仮定すれば、先進国と途上国の為替の大きな偏り、平均収入も生活費も大きく違う状況が説明できる。(極一部を占めるに過ぎない貿易された商品によって為替は決まる)

購買力平価説は全ての財やサービスが輸送費もかからず、瞬時に移送もできて、自由にやりとりできるという仮定の話である。他国製のビッグマックを食べるなどということは現実にはありえない。したがって絶対的購買力平価には現実的な背景は存在しない。しかし前述のような構造、どのようなものをどのような技術力を持って生産しているかということが為替に影響を与えるのであれば、その国の構造が変化しない限り他国との関係も変化しないわけで、生活費の象徴としてのビッグマック等の価格の比率は有用な道具にはなるだろう。(為替の高低の絶対的な判断はできないので、使い方には注意を要する)

さて現代を考えてみよう。外国為替は市場で取引きされている。影響を与える因子をあげるとすれば、各国物価の上昇率には差があり、それは大きな要素であろう。物価の上昇率の差は、為替にそのまま反映されるはず(交換すべき同じ価値のものの価格がそのように変動するから)だが、その通貨で持っていた場合目減りするリスクが高ければ当然その通貨の人気が下がって安くなることも当然である。その国の金利も考慮すべき要素だが、物価上昇率と様々なリスクによって補正されるべきだ。ただし一番重要なポイントは、リスク等を正確に求めることは誰にもできず、あくまでも市場参加者の主観によって左右されるもので、それは妥当性を保証するものではないことである。実際には前述のようなメカニズムや、様々な要因によって作られた偶然の値に、その時おこった出来事に対して皆が反応して価格を変動させた結果が為替の値だ。通貨安がその国の競争力を高めることもあるだろうが、貿易関係を適正にして最適な状態で均衡するなどという仕組みではないのである。
リスクが高く、物価も上がり易い途上国の通貨は、前述の構造に輪をかけて低く評価されるという話になる。そして原油のような資源による優位性を持っていない場合は、先進国の独占的製品によって貿易赤字を膨らませることになる。通貨が安くなって競争力がついても、多くの途上国が自動車で勝負できないように、同じ土俵に立つことはできない。通貨安は独占性の低い輸出品の相対的な利益を下げることにもなるので、不均衡がある場合赤字はさらに膨らむだろう。赤字の穴埋めにその国の土地等の買収を許すようなことにでもなれば、搾取されますます途上国は苦境に立たされるだろう。比較優位を根拠に自由貿易を是とすることがいかに馬鹿げているか分るだろう。