ケインズ時代の2%の債券 | 秋山のブログ

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ケインズは流動性の選好が当時2%以下の債券が売れない理由だと考えた。現代の知識から考えれば流動性はそこまで価値のあるものではないだろう。当時も現在もより重要なのが、債券のリスクだろう。2%の配当では割に合わないリスクがあるのであれば、売れないのは当たり前だ。現在2%に遠く及ばない日本国債が売れているのは、それほどリスクが小さいと考えれば説明がつくだろう。(理論的には自国通貨建ての国債の自国民に対するリスクはゼロである。他国の場合は為替がリスクとなる)

ケインズの時代でも、単純に利率だけで債券の売れ行きが決まったわけではないだろう。リスクとの比較で決まったはずである。ここで売れることによって利率が下がるという現象を考える。間違えていけないのは、本当のリスクなど前以て分りはしないことだ。どれだけ多くの人間が参加しても、リスクの大きさの判断は、多少の科学的な裏付けがあったとしても、個人の主観の集合に過ぎない。先物市場を擁護する理論が誤りであることは以前書いた通りである。大方皆が考えるリスクに見合った報酬が分るだけである。

ストックの変化に関して考えてみよう。何度も繰り返していることだが、貯蓄の総額は、企業や国や個人がおこなっている借金の総額に等しい。人が生活をおこなう際に必要な借金、企業が活動をおこなうために必要な借金は、スケールメリット等のため完全にではないが、人口に大凡比例するだろう。人(一人当りで)がより多く生産し、より多く消費するようになれば、これまた借金は大凡比例して大きくなりうる。一方、物価に関しても同じことが、いや、物価が一番正確に比例するだろう。これは何のことはない。人口と物価と生産の増加を合わせたものは、要するに成長率である。つまり成長率はストックの変化の大凡の目安になるということである。逆に言えば誰もがストックの成長率以上の増加を期待することは難しい。誰かがそれを得ることは、別の誰かの損失が裏にはあるだろう。
利息として払われたお金は使われもするので、それがそのままストックの増加ということにはならないので、利率はもう少し高くてもおかしくないだろう。(しかし現在のように貧富の差が拡大して、利息に対する貯蓄率が上がることになれば、利率の平均は高くはできなくなる)

ケインズの時代を考えれば、インフレ率も成長率も今よりずっと高かったわけなので、2%の債券というのは、他の債券と比べて相当見劣りしたはずだ。そして現在に比べて、債券自体のリスクも大きかったはずだ(破綻者が増えることで、生き残った企業の利息、配当は上がる)。見渡せばほとんどの債券の利率は2%を大きく超えていたはずだ。つまり2%というのは、特に不思議な値でも、何かを物語る値でもないのである。