貯蓄と投資再び | 秋山のブログ

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ネットを適当に巡回していたら、教えてGooに「三面等価について」という質問があった。そこの回答に貯蓄が投資に等しいという今まで否定してきた話に繋がるものがあったのだが、今までの説明だとこの回答者を納得させられそうもないことに気付いた。そこでもう少し分り易い説明を考えた次第である。

Y=C+I+G
「消費C」「投資I」「政府購入G」(NXは以後省略)
これが国民所得勘定の恒等式である。生産物という視点で見た時正しいと以前書いた。

一方、所得から税を払ったり、ものを買ったり、貯蓄したりする視点で見た式も存在する。
Y=C+S+T
「税金T」「貯蓄S」

以上の二つからS=Iという話や様々な誤りが生み出されているわけである。

誤りの原因は以前も書いているが定義の混乱である。まずCとIの違いは何か考えてみよう。消費は使われてすぐなくなるもので、投資は永遠に残るものと定義する人がいるかもしれない(しかし我々が購入するもので何十年も使い続けるものあれば、短期間で陳腐化して作り直さなくてはいけない施設だってあるだろう)。消費は個人がするもので、投資は企業がするものと定義する人がいるかもしれない。大凡そんなイメージを持っているだろうと思う。しかし、これが誤解を生んだ最大のポイントなのだ。
ではどんな適宜が適切なのだろうか。恒等式における消費とは「持っているお金で買って使うこと」で、投資とは「借りたお金で買って使うこと」である。ついでに言えば政府購入とは、集めた税金で買って使うこととなるだろう。企業の工場建設であっても、内部留保や儲けで建てるのであれば、式の上ではCに入れなくてはいけない。また、国債で集めた金でおこなう政府の支出は、Iにいれるべきものと言えるだろう。

もう一つ重要なのは、借金は信用創造で理論上はいくらでもすることができるが、貯蓄は借金する人がいなければ存在しえないということだ。SがIと同額になるのは当然のことであるが、貯蓄は国民全ての貯めようとする意思などとは全く関係なく、前述の”投資I”によって規定されるものに過ぎない。誰かが所得に対して支出を絞れば、所得に対してより支出をしなくてはいけない誰かが出てきて、結局Sの合計額はIにしかならない。

こうして整理してみると、恒等式は当たり前のことを言っているだけで、自明のこと以外生み出さないであろう。貯蓄率を重用する成長理論や、利率での均衡を考えるIS曲線等にも、全く意味がないことも分るだろう。どこが間違って貯蓄のパラドックスがおこっていたかも説明も出来るだろう。
恒等式でおこなわれていたことは、当たり前のことを数式化等し、それを変形したりして分りにくくすることで、定義のあやふやさによる混同で意味が摩り替わったり、とりあえずの仮定がいつのまにか真実ということになっていたりして、おかしな結論が導かれるという、しばしば経済学でおこなわれているおかしなことの典型的なパターンのひとつということである。