限界費用は逓増するのか? | 秋山のブログ

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限界費用逓増の法則というものがある。収穫逓減の法則と裏表一体のものである。

ミクロ経済学では重要な法則で、価格によって供給量が決まるメカニズムの根拠となっている。

限界費用逓増でなければ企業は無限に生産することが理にかなうこととなるから限界費用は逓増なのだという主張があるが、それは需要に限界がないとするセイの法則(誤謬)によるもので、非現実的な前提である。

別の根拠は、土地等資源には限界があるので収穫は逓減する、すなわち限界費用は逓増するというものだ。これはもちろん一理ある。しかし産物によってはまったく逓増しないものもある。ソフトウェアなどはまさにそうだ。そうでないものでも逓増を観察する前に需要が限界に達するものは山程あるだろう。まあ、資源の限界を想定しながら、需要には限界がないと考えるのは、大きな自己矛盾であろう。

自由貿易の利を論ずる時に、受給曲線がしばしば認められる。ちょっと面白いページを見つけた。関良基という方の自由貿易神話解体新書からの抜粋だ(氏の書いたものは、意見を同じくすることも多い。残念なのは、氏が日本破綻説の嘘を見破られていないことだ)。私はギリシャとドイツの比較で、生産物の独占性による問題を指摘したが、氏は限界費用の逓増性の差でそれを説明している。なかなかよい内容なので是非一読されたい。

さて自由貿易の利に関して、見てみよう。参考のページでは、自由貿易後の消費者余剰の増加と生産者余剰の減少を比較している。これをして、消費者の利益は生産者の損失を上回ると言うのが、よくある主張の根拠だ。合計したものが大きくなればそれでいいのかというかということ自体、まったくおかしな考えだろう。一人当りにするとわずかな消費者の厚生の増大の和が、少数の生産者の深刻な収入の減少より価値があるかどうか極めて疑問だ。
国際価格より高かった業者が廃業して、そのような業種は輸入に頼り、国際価格より安かった業種に衣替えして輸出に専念すると、厚生は必ず増大しそうだが、それは転業に関するコストを過小評価し過ぎだろう。貿易収支は均衡しないことの方が多いくらいでもある。製品の価格も貿易に都合がいい価格になるわけではない。
(蛇足だが貿易に関する所得補償に関して考えてみる。池田信夫氏などは皆が得するよい方法と単純にも書いている。別に貿易でなくても医療での例のように、まずお金を集めておいて価格を安くさせるという方法が厚生の増大に繋がっているのをみれば悪い方法ではないが、財政再建派の人間がそれをいうのは矛盾だろう。対外的にフェアなのかという問題もある)

ということで、限界費用逓増に基く受給曲線は穴だらけの理論だ。さらにそれに基く自由貿易の価値も穴だらけということだ。