バブルとは | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

安倍総理になって株価が上昇していることに対して、安倍バブルだという指摘が最近ある。バブルははじけるまで誰も分らない(はじける時期のことも言われるが、バブルかどうかに関しても言われている)などという無責任な発言もあるが、バブルとは何かということの理解がいい加減なだけだ。記事を見れば、安倍バブルは中身がないのに株価があがっていることを言っているらしい。

実際の政策がおこなわれていない(そして企業の実績もまだ上がっていない)のに株価が上がったことを言っているなら、これは相当的外れだ。安倍政権は既に期待インフレに影響のあることをまさにおこなったのであり、市場が反応するのは当たり前だからだ。

企業の価値から考えられる妥当な株価よりずっと高くなっているという意味なら、昨年末の平均PBR1倍以下というのが異常であり、とてもバブルを云々するレベルではない。
政策のミス等を切っ掛けにして、バブルがはじけるかのような株価の下がり方をすることがあっても、それはバブルだったからと言えるわけではない。もちろん本当のバブルは、バブルがはじけるような派手な下がり方をすることが多いだろうが。(PER等から考えてもしかり

安倍バブルという指摘が馬鹿馬鹿しいのは、以上で十分であるが、バブルに関してもう少し考察してみよう。

何か事業をおこなう時には、どのくらいの消費(需要)ががあって、どのくらいの価格がつくかが重要である。そこから人件費や材料費を除いたものが、その事業に必要な資金の金利や配当を超えるようならば事業は成り立つ。
信用創造によってお金を貸すということに関しては、いくらでも事業資金は供給できるが、たとえば金本位制のようにお金の裏付けに必ず金が必要ということであれば、金の絶対量によって事業の限度が規定されることになる。日本の場合、土地が担保となって融資の根拠となった。すなわち土地の総価格によって事業の限度が規定されるのだ。現在の日本の不況の理由の一つがここにあると思われる。日本のバブル期には事業の総必要額以上の総価格があったと思われ、それによる抑制がなかったことが好景気の要因のひとつだろう(バブル期の豊かさを将来につけをまわして贅沢していたかのように考える人がいるが、それは何の根拠もない単なる思い込みである。あの頃の生産力でできる範囲の生産をしてそれを分配していただけである。海外から労働者を呼ぶ必要があるほど、労働者は取り合いで、平均して皆が豊かだった。ついでに言うと、労働者をあれだけ取り合ってもハイパーインフレなどおこっていない)。
金などの物品、土地などの担保によらずに、事業資金を融資できることが理想であるが、今もって事業資金を騙し取るなどの事件がおこっていることを考えれば、なかなかそうはいかないだろう。悩ましいところで、今後の課題になりそうだ。
土地を上げればよいかと言えば、土地は実際に使用されているものでもある(金もしかり)。人々の生活に悪影響を与える可能性もあり、土地を新規取得する必要がある事業なら事業資金を上げることにも繋がる。特にもともと土地を持っていた人間とそうでない人間の貧富の差が広がることが問題だ。

バブルの頃は、土地を担保にお金を借りて、その金で土地を買うということがおこなわれた。それによって土地の値段は上昇した。実態から乖離するのは必至で、それはバブルだろう。バブルははじけるまで分らないなどということはないと思われる。これは土地だけに言えることではなくて、金を担保にお金を借りて金を買って金の価格が上がるならこれもバブルだ。要するに生産の裏付けのない借金、価格を上昇させることが目的の売買による価格の上昇がバブルなのである。

国や中央銀行は、物価にだけ気をつかうのではなく、人々の給与の増減にも気を使うべきだと以前書いたが、土地の価格の増減も気を使って対応すべきだろう。その方法は、いきなり冷や水を浴びせるようなものではなく、物価のわずかな変動に対応するような、綿密な評価と対応が必要だろう。方法の一つとして安くなり過ぎそうな土地を国が買うのもありだ(土地の所得の場合、金本位制での金とお金の交換と同等に考えられ、他の場合以上に財源を気にする必要はない)。そのための省庁をつくるべきだろう。以前、公正取引委員会強化について書いたように、国がすべき仕事で足りていないものが山程ある。