財政出動 | 秋山のブログ

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「資本主義と自由」においてフリードマンは財政出動の効果に否定的だ。スティグリッツ教授は「世界の99%を貧困にする経済」で『なぜ政府支出がきわめて 効果的でありうるのか』(P342)と章をもうけて記述している。フリードマンの理屈の誤りは容易にいくつか上げることができるが、簡単に根本的な理由を 述べれば、完全雇用の状況であるならば成り立つのがフリードマンの話であり、シカゴ学派が現実から大きく乖離してそう主張するのと異なり現実は失業過多の 状況であるので、特にその傾向が強くなっている現在では、スティグリッツ教授の主張の通りになっているようだ。

さてもうちょっと詳しく説明してみよう。

以前紹介した18世紀のヒュームの観察とその理論は、お金の作用に関して現在も通用すると思われる。
金を掘り当てたでも何でもいいが、誰かが資金を得て消費を増やそうとしたとしよう。完全雇用で各人が最大限働いている状況等であれば、生産物はそれ以上増えないので商品の取り合いとなる。すると物価が上がり(その状況を見て売主が価格を上げようと考えた場合)、生産物の量は変わらず、それを得る人の割合のみが変化する。売主の収入は上がるが、その売主が買いたい別のものに関しても同じことがおこる。結局、投入したお金の分だけ物価が上がり、生産物の分配の比率が変わるだけで経済はよくなることがない。マネタリストが主張するような現象は、こういう機序で説明できるだろう。
次に生産が最大限でなかった(刺激によって生産性が向上した場合も含む)と仮定しよう。その場合、人々が収入が増えた時増えた分のどのくらいの割合を消費に(貯蓄に)回すかで大凡の効果が変わるが、消費の増加により生産の上限に達しない内は、予想された効果を発揮するだろう。そして生産力に余裕があるうちは、取り合いで上昇するという機序の物価上昇(物価上昇は他には、外的要因による上昇や心理的な上昇もある)も起こりづらいと思われる。これが財政出動が有効となる機序である。

フリードマンは財政出動が無効であるという理由をいくつかあげている(P160)。貯蓄率と、国が支払ったことによる民間支出の抑制、それから所謂クラウディングアウトだ。
人々が消費にまわすお金が、収入の増加分のどのくらいかということによって、0から300%(本来はゼロから無限大であるが、フリードマンは最初の仮定の数字を上限にしてしまっている。明らかな誤りである)と幅があるだろうというところの、0若しくはそれに近いという決め付けである。
最初に消費を増やす存在が国である時に、フリードマンは国が消費を増やした分、民間の消費はその分必ず減ると決め付けている。そうならないためにはフリードマンは、穴を掘って埋めるような民間が絶対やらないことが効果があるとして、だからそんな馬鹿げた話はないので財政出動が無効だと言っているが、これは無効かどうかを証明するようなものではない。
クラウディングアウトという馬鹿げた考えの理由には、信用創造の失念がある。企業は、投資だけではなくて、銀行からの融資も受けて活動しているのだ。また、投資されたお金が使われれば、そのお金はまた誰かの所持するところになるということ(フリードマンが否定する『このような状態がいつまでも続く』ということ)にも気付いていない。

フリードマンの言っていることは誤りではあるが、見方を変えればよいヒントにもなる。
消費にまわす率が低いところに財政出動するのは効率が悪いということは言えるだろう。トリクルダウンがいかに馬鹿らしいかということである。
民間の消費が減るという話では、民間がしないことで間接的に人々が潤うようなことは山程あるということを見逃している。僻地の無駄に見える道路工事であっても、穴を掘って埋めるよりはマシだろう。例えばドイツのアウトバーンのように、民間の生産性を著しく高め、成長を促し、経済を改善するものが理想だろう(高めた生産性をレントで掠め取られないことは大事)。

クラウディングアウトには、ヒントになるべき話は無さそうである。

財政出動の実証に関して、フリードマンもおこなっていて、出動したお金程度の効果しかなかったと記述している。すごい大きな効果というケインズよりも、ゼロであるというマネタリストの主張にこの結果がすごく近いというのは詭弁だが、結果の値はそんなものかもしれないとも思える。レントを取ろうとするようなマイナスの要因は相当強いのだ。
お金を入れればどの程度効果があるかというのは、極めて雑な視点であり、既に述べたように阻害する要因次第というのが真実だろう。スティグリッツ教授によれば、財政出動と同時に増税してプラスマイナスゼロでも、使い方を選べば効果があるという実証すらあるようだ。重要なのは、失業をなくし労働者の取り合いが起こるような状況をいかに作るかと、入れたお金がレントでもっていかれることをいかに防ぐかだろう。
一つのよい方法は、公務員を増やすことだが、財政均衡を重要視するという愚かな考えが蔓延し、日本でもEUでも逆の方向に舵を切ろうとしている。国家と、企業や家庭は別のものであるということを、口酸っぱく言いつづけなくてはいけないだろう。