おばあちゃんの転び方 | みつはしちかこオフィシャルブログ「小さな恋のダイアリー」Powered by Ameba

 

友達との電話の最後には、必ず「転ばないようにね」と言い合っている。
私ぐらいの年代にとって“転ぶ”ということは一大事なのだ。気をつけていても万一転んでしまったら、上手に転ぶことだ。

今は亡き義母は、「転ばない」が自慢だった。
ある日のこと、私が買い物から帰ってきた時、わが家の物干し場で転ぶ義母の姿を、道路から目撃した。
白いカッポウ着をつけた義母が、洗たく物をとりこんでいる。あ、あ、というまにスローモーションで転んでいった。つまり、物干し場の手すりにすがりながら転んでいったのである。

ホッとしたが、私は急いで家に入り、義母のもとへとんでいった。
ところが、義母は洗たく物を胸に抱いて、すましてこちらへ歩いてくるではないか。そして、何事もなかったように私とすれちがっていったのだ。
「おばあちゃん、さっき物干し場で転びませんでした?」。義母はふり返りもせず「転びませんよ、私は」と言うではないか。私、転ぶところを見たんですけど…。

義母にとって、あれは転んだことにならないのだろうか。または、転んだことを隠したかったのかもしれない。
しかし、どこも怪我しなくてよかった。そしらぬふりができるほど、上手な転び方をしたのだった。

もしかしたら、義母はこれまで、結構あんなふうに転んでいたのかもしれない。万一転んだ時のことを考えて、手の届くところに支えになるようなしっかりしたものを確認しておく、と。
私はこのごろ、靴下などをはく時、義母の上手な転び方をならって、手近に万一の時の支えになるような頑丈なものを確認してから、片足立ちになるようにしている。

私は今もはっきりと、物干し場でひらひらと転んでいった白いカッポウ着の義母の姿を鮮やかに思い出すことができる。あれは上手な転び方だったなあ。