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「真理探究中です。」

嗜好品のようなブログを目指します

今日は平成30年度の最後の日です。

明日より新年度が始まります。

 

最後の日の退職式では、毎年、約40年にわたってのご奉公された皆様のお言葉に感動します。

やはり皆さんの若い頃はモーレツ社員であったことは間違いないです。

時代が変わった、きっと良い方に変わったのだと思います。

 

でもなぜだか昔の仕事一本の生き方も少し羨ましく思ってしまいます。

 

さて明日は新元号の発表もございます。

1ヶ月後は本当に新しい時代が始まるわけです。

 

平成とはどのような時代であったかというのは、様々なところで総括されておりますが、私は天皇制度について思います。

昭和の初めは神であった天皇が、象徴となり、平成天皇はそのあり方について常にご思案されていたと思います。

残念ながら、皇室のあり方については様々なご意見もあると思いますが、私は現時点で象徴でおられることに意味はあると思います。

 

鹿児島旅行の影響でしょうか。

戦争について考えるために、映画を見ました。

「日本で一番長い日」、役所広司が演じる阿南陸軍大臣には感服いたします。

 

しかしあの映画で最も思うところは、「御聖断」なしではもはや日本は終戦することもできなかったということです。

大日本帝国憲法では天皇は最終決裁者でした。

 

私は思います。

世襲制とはネガティブなイメージもありますが、最も効果を発揮するのは、生まれながらに帝王となることが予定されていたものは、帝王学を学んでいるということです。

 

最終ブレーキであった天皇という役割は、天皇ご自身の属人的要因に左右されますが、少なくとも天皇とは先祖より受け継がれし国と国民を子孫につなぐことを使命として持っておられて、終戦を御決意されたわけです。

 

昭和天皇も、平成天皇も、ご自分に課された天命とは何か、を御信念としてお持ちであり、それを全うされた方であると私は思っています。

 

では翻って一人の民衆である私も微力ながら役割を持って生きているわけでありまして、来たる平成31年度も私の役割をしっかり果たして生きたいと思っています。

大げさに言えば私たちは常に歴史という法廷に立ち行動しているわけでありまして、歴史は私たちを見ているわけです。

時代が変わろうと、年度が変わろうと、なるべきことをなすべし。

 

さてこのようにミリタリー調になってしまい、明日から迎える新入社員に悪い影響を与えないよう気をつけてまいりたいと思います。

 

「自分の役割を果たせ。自分のやりがいなどという粗末な世迷い言など捨ててしまえ。」など言っては今の時代は一発アウトですからね。

 

それでは、また。

 

God bless you.

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

鹿児島歴史旅について、3本目の記事となります。

 

鹿児島歴史旅は、相棒やっくんと行ってまいりましたが、幕末の歴史観については双方全く反対の立場をとっております。

 

私は、井伊直弼派。

やっくんは、吉田松陰派です。

 

まず私の基本的な立場としては、歴史の負け組に光を当てたいという思いで歴史をみています。

どうしても教科書的な歴史では、動乱の時代を対応しきれなかった「無能な幕府」というのが描かれてしまいます。

また井伊直弼については、安政の大獄や不平等条約調印など、悪名が高い幕府役人となってしまいました。

 

でも歴史ってそんなに非連続的なものかといえば違って、ちゃんと前の時代との連続性があるわけです。

日本が近代国家としてめざましい発展を明治時代に急速的に行うことができたかといえば、やはり前の時代の統治者階級であった江戸幕府の官僚が明治政府でも生き残って働いたことによって、安定的な統治をすることができたからです。

 

世界史を見ても、やはり革命などで時代の変化があるときは、その時のエリート階級が変わらず次の時代の舵取りを支える側になった場合は平和的に進んでいます。

エリートとはこの国では嫌われる存在ですが、時代や社会を長い目でみるその統治術は貴重なものです。

 

いきなり素人が勢いで革命して、エリートを追放して、素人が社会の舵取りをするというのは、大きな混乱の元となり、革命前より凄惨な状況になりがちです。(フランス革命がいい例です)

 

幕末に話を戻せば、やはり井伊直弼の立場にたてば、当時長州がいう攘夷(外国人排斥)は、うまくいくはずない無茶な暴論です。

条約を調印せず武力を使えば、たちまち日本は西洋列強に分割されていたでしょう。

やはり現実に即した対応であったと思います。

 

またそのことを理解せず、武力闘争に出ようとする者を捕まえることは、当時の統治者である幕府なら当然に行う処置であったと思います。幕府の立場に立てば、彼らは志士ではなくテロリストですから。

 

井伊直弼だけではなく、当時の幕府は学問所も作って官僚を育成していましたが、それがのちの東京大学となり、明治新政府でも優秀な官僚を生み出すエリート生産システムを江戸時代に確立していました。

 

また造船所を作るなど、船を買うだけではなく、自前で作って修理することの重要性をちゃんと認識して海軍力を培っています。

一説では、戊辰戦争も結果的に江戸城無血開城で平和的に終わりましたが、本気で戦えば、海からの砲撃で維新軍を倒せていただろうと言われています。

ただそれをしなかったのは、内乱の長期化は西洋列強の餌食になることを踏まえて、平和的な政権移行と目指した幕府側の、「日本」を思っての決断であったと思います。

 

仮にも260年の平和を築いてきた統治者のプライドはあったと思いますが、その座にこだわることなく次の時代にパスした決断は、維新志士と同様に、日本のためという思いがあったからです。

 

造船所などの海軍力の基盤は、明治政府に引き継がれ、自前で修理ができるからこそ、日露戦争ではコンディション最強のまま、世界最強艦隊のバルチック艦隊への勝利に繋がるわけです。

 

このように私は、歴史は連続的で、前の時代の敗者が単純に劣っていたと決めつけてみることに抵抗したいがために、江戸幕府を支持しています。

 

では、一方でやっくん推しの吉田松陰先生が嫌いかといえば、別に私も嫌いはでないです。

やはり松下村塾で育てた功績は素晴らしいし、何より黒船に乗ろうとする行動力は半端ないですよね!

魅力的な人物であろうと思います。

 

昔NHKで「その時歴史が動いた」という番組がありました。

番組最後のエンディングには、その回の人物の言葉が紹介されます。

その時の吉田先生の言葉がとってもかっこいいので紹介します。

 

幕末という動乱の時代をいかに生きるべきか、死の一年前に弟子たちに送った吉田先生の詩です。

 

「志を立てるためには、人と異なることを恐れてはならない。

世俗の意見にも惑わされてもいけない。

死んだ後の業苦を思いわずらうな。

また目前の安楽は、一時しのぎを知れ。

百年の時は、一瞬にすぎない。

君たちは、どうかいたずらに時を過ごすことのないように。」

 

さて現代もまさに変化の激しい動乱の時代と言えます。

幕末と似ているわけです。

だからこそ、幕末の志士がどのように考えたかを知る、歴史を知る、というのは現代を生きる上で一つの知恵、参考情報になるのかなって思います。

 

繰り返しですが、歴史を学ぶというのは、同じ問題意識を持った人がどのように考え行動したかを知ることです。

年代を覚えることに意味はありません。社会背景を知っていればいいと思います。

この学び方こそ、歴史が本当の意味で生きた学問になると思っています。

 

吉田先生の言葉も、まさに今を生きる言葉です。

 

本当に幕末って素晴らしくカッコいい。

今回は鹿児島に行きましたが、次は長州(山口県)に行きたいものです。

ぜひ歴史旅して行きましょう。

 

また歴史記事をあげたいと思います。

それでは、また。

 

God bless you.

 

 

 

 

こんばんは。

鹿児島歴史旅シリーズの記録を続けたいと思ったのですが、先週木曜日より胃腸炎を発症し、一時戦線を離脱しておりました。

あまり消化器官系の病にはなったことがなかったので、腹痛ってこんなにも辛いものか!と初めて実感いたしました。

これは将来の自分への戒めも含めて、急遽記録しておきます。

 

腹痛とは突然くるものです。

最初の始まりは、外出中でした。

電車に乗っていると、「あーなんかやばい。。お腹がギュルギュルしている」と思ったら、少しづつ変な汗がかいて来るわけですね。

 

まだまだ目的地も遠い、次の停車駅にもしばらくある中で、「やばい」とか声をあげることもできない。

 

腹痛中ってものすごく自分と、大いなるものが対話が始まりますね。

「まじ、神様、本当に助けてください・・・!私はどうしたらいいでしょうか・・?」

この対話に大いなるものからは特に返信はないのですが、悪魔は囁いて来るわけですね。

 

「楽になっちゃいなよ。」

 

ここから過酷な「人間の尊厳」を守る戦いが始まるわけです。

 

「こんなところでしてしまっては、もう人間辞めることになってしまう・・・」

 

でも悪魔はそれでも「易きに流れること」を勧めて来るわけです。

 

「そんなに人生って苦しむ必要はあるかい?」

 

どんどん悪魔に囁かれると、少しずつ頭は最悪のシナリオを想定した場合の行動モデルを想像するわけです。

いかに周りの人々にバイオテロの可能性を伝え、避難を促すか。

でもどんなに頭で考えても最後の「人間性の壁」は超えることはできないわけです(汗)

 

そしてようやく停車駅に。

意外と最近の駅って駅ビルがあって、駅ビルのトイレって綺麗なんですよね。

そういうトイレクオリティには無駄なこだわりを見せてしまいます。

 

トイレが意外と駅ビルの奥まったコーナーにあり、苦しみながらたどり着くと、空いていないという悲劇が待ち受けることも想定されます。

したがってやはり最後まで油断は大敵で、少しでも気を緩めると、下の栓も緩んでしまいます。

 

さて幸いにもトイレは空いており、パーソナルスペースを手に入れ、さあ便座と一体となった時、「あーここにエデンがあったか」というようなこの世の天国を見た気持ちになります。

旧約聖書にある、知恵の実を食べる前の人間がいた地上の楽園の場所はわかっていませんが、その時、きっとここにあるという確信を持つことができます。

 

こうして人間性を堅持したことによって、楽園に行くという宗教的サクセスストーリーが完成するわけです。

 

繰り返しになりますが、腹痛自体あまり経験なかったので俺はいつも「お腹弱い系男子」の気持ちがわからんかったのですが、ほぼ毎日この人間性を守る戦いがあると思うと、彼らは戦士です。

きっと私と同世代の人だとかれこれ20年くらい戦士やっているんじゃないかな〜

もう軍人としては中佐級ですよね。

 

私も初めてこの聖戦に参戦して、この戦いの苦しみを味わいました。

 

古今東西の哲学者はすぐに「人間とは何か」と頭の中でロジックで考えてきましたが、ひとたび社会の中でトイレのない状況で腹痛に襲われればその答えは自ずと出てきます。

 

それは「しかるべきところで用をなすこと」(=漏らさないこと)

 

もうこの1点につきます。

ここに真理はありました。

 

皆様もお身体ご自愛くださいませ。

そしてどうしようもない状況でも、人間を捨てずに戦ってください。

気を強く持てばきっとあなたにエデンは訪れます。

 

それでは、また。

 

God bless you.

 

 

 

 

鹿児島歴史旅の記録です。

 

前回記事にも書きましたが、我々が訪れた場所は以下の7つの場所です。

 

❶知覧特攻平和会館

❷薩摩英国館

❸万世特攻平和祈念館

❹トメ資料館(ホタル館)

❺薩摩藩英国留学生記念館

❻桜島

❼維新ふるさと館

 

当初テーマは、特攻の歴史でした。

しかし私の要望により「英国」とつく施設に行くことにより、偶然にも薩摩ステューデントという幕末の志士たちとの出会いを我々は果たすことができました。

 

激動の時代を生きた幕末の志士たちの心意気から、同じく激動の時代を生きる我々は何を学ぶべきなのか。

志士の心意気を学ぶ旅となりました。

 

行ったのは、「薩摩藩英国留学生記念館」です。

 

薩摩と英国の出会いは、生麦事件という大名行列を横切った英国人を薩摩藩士が斬ったことによる悲劇からでした。

賠償を求める世界を股にかける大英帝国と、日本の地方政府に過ぎない薩摩藩との間に戦争が起きます。(薩英戦争)

 

薩摩藩も予想以上の戦果をあげますが、世界の実力を気付かされた薩摩藩は、英国に密かに留学生を送ることにしました。

この留学生こそが、薩摩ステューデントです。

英国も自分たちの実力示すために、この留学生を寛容に受け入れます。

 

ロンドンまでの旅は、約2ヶ月の長旅でした。

世界を回る旅で、彼らは西洋の技術力の高さを目の当たりにするわけです。

薩摩ステューデントは、政治学、軍事学、医学、生物学、経済学など各々が最高の学びをして、帰ってくるわけです。(帰ってこないものもいますが)

 

その中で一人我々はある人物に出会うわけです。

 

初代文部大臣となる森有礼氏です。

 

そもそも我々は高校の仲間でもありますが、教職を志す者として出会ったわけです。

そんな我々にとって、初代文部大臣が薩摩ステューデントだったことは運命です。

 

森大臣の言葉が、この記念館にありました。

 

「文部省は全国の教育学問に関する行政の大権を有してその任ずるところの責したがいて至重なり しかれば省務をつかさどる者はすべからく専心鋭意各その責を尽くして以て学政官吏たるの任を全うせざる可からず しかしてこれを為すには明かに学政官吏の何ものたるをわきまえ決して他職官吏の務方を顧みこれに比準を取るが如きことなく一向に省務の整理上進を謀りもしその進みたるもいやしくもこれに安せずいよいよ謀りいよいよ進め 終に以てその職に死するの精神覚悟せるを要す」
明治十九年一月 有礼自記

<解釈>

文部省は、全国の教育学問に関する行政の大権を有しているので、その責任は大変に重いものである。
したがって、文部省の職務を担当する者は、専心鋭意その責任を尽くして、学問をつかさどる行政官吏の任をまっとうしなければいけない。そしてそのためには、学問をつかさどる行政官吏であることをわきまえ、決して他の官吏と比べることはせず、ひたすら文部省の職務に熟達することを計り、ある程度になったからといっても満足しないで、もっと上に進むよう努力し、最後にはその職に死んでもいいくらいの精神を自覚することが必要である。

まさしく「公務員道」です。

他と比較することなく、「職務」に全うするべし。

これも「役割」を全うすることを書いています。

 

特攻の記事にも「役割」というのはキーワードでした。

 

かつての日本人は、自分の役割とは何か?という求道者集団ではなかったのかというぐらい、役割を意識していますよね。

私は昨今の「自分のやりたいことを叶える」風潮より、こうした「自分のできることは何か」という役割を果たすマインドセットが重要ではないかと思っています。

 

この薩摩ステューデントとの出会いに動かされたのは私だけではありません。

教育に熱い志を持つ相棒のやっくんも、またこの出会いによって、悩み事解決の活路につながったようでした。

(「俺はどうして今まで悩む必要があったのだろうか?」と言わせるほどに解決していました)

 

薩摩ステューデントも素晴らしいのですが、やはりこの身分にとらわれない人材登用をする藩主の島津斉彬公も素晴らしい方です。

私は幕末の時代を見る上で、なぜ薩摩が時代を引っ張る存在になったかは、当然主役である下級武士たちの志士も才能豊かですが、当時の上層部もなかなか優秀であり、殿様がちゃんと殿様の仕事をするっていうのが素晴らしいのです。

 

「殿様」が殿様の役割を果たす、若い志士が志士の役割をする、それぞれが「自分の役割は何か?」をしっかり考え、行動したからこそ組織が有機的に働き、これだけの歴史を動かす力になったのかなと思います。

 

そんな志士や殿様の活躍をしる場所が、「維新ふるさと館」です。

 

ここには、島津斉彬公、西郷隆盛、大久保利通、篤姫など、薩摩の素晴らしい人々を知る良い資料館です。

 

*2008年の大河ドラマ「篤姫」は最高でしたよね。

鹿児島から帰って早速DVD買っちゃいました。

 

驚きは、西郷、大久保、東郷平八郎など歴史を動かす偉人が、みんな同じ町出身ということです。

どんな町やねん!って思いつつ、調べて見ると、どうやら「教育システム」に特色があったようです。

 

薩摩藩の教育システムは、「郷中教育」と言われ、簡単に言えば、「生徒同士が教えあう」というものでした。

 

今の日本の教育システムは、学年を超えた交流も少なく、教師が一方的に生徒に教える構図です。

薩摩藩の偉人を生む風土には、郷中教育による自由闊達な言論活動などが背景にあったのではないかと思います。

 

日本の教育の未来のヒントは、実は過去にあるのではないかと思った次第です。

 

ちなみにこの幕末の時代を語る上で面白いのは、一緒に旅をしたやっくんと私は全くの正反対の立場ということです(笑)

 

やっくんは、吉田松陰を代表に薩長ファン。

私は井伊直弼を代表に江戸幕府ファン。

 

まあ色々違いもありますが、私はこれだけは共通していると思っています。

 

どちらの立場も、「日本国を守るためにはどうしたら良いか」を本気で考えていたということです。

でも江戸幕府がちょっと時代の波に乗れなかったのは、「日本国より徳川家をどうするか」と考える人が多かったことでした。

ただこれも江戸時代(武家社会)の常識では当然なんです。

 

みんな自分の国(〇〇藩)をどうするかが常識的な思考ですが、幕末で活躍する人物は「日本国をどうするか」という発想なんですね。

常識的な思考を飛び出ることが激動の時代を生きる者のマインドセットであろうと思います。

 

だから全く歴史認識について違う見解を持つ二人ですが、対話を通じて「違いと共通項」を見つけることができて、大変違うことが楽しかったです。

 

ただし私自身も幕府よりの人間ですが、今回ばかりは薩摩の志士たちの志の高さに敬意を持たざるを得ませんでした。

 

この歴史旅を行なって、歴史の学び方自体も肌で体感した気がします。

「自分と同じような問題意識を持った歴史上の人が、どのように考えたか?」を検証しに行くことが歴史を学ぶ、過去から学ぶことになるのかなって思います。

(ただの暗記では面白いはずないです)

 

また機会があれば歴史旅、また歴史ネタを展開していきたいと思います。

 

それではまた。

 

God bless you.

 

こんばんは。

この度は我々の旅の報告をしたいと思います。

 

2019年3月15日から3月17日にかけて、私とらじろうと、鉄人やっくんと鹿児島県を訪問いたしました。

この組み合わせの旅は、実に3年ぶりです。

3年前は社会人になる直前のチャリ旅でした。

当時の記録がありました。

【2016年2月6日付 ドライは夏だけにして 】

 

当時のチャリ旅は、これから迎える社会人ライフに向けて、夢を語り合ったチャリ旅となりました。

また記録にもありますように、二人の思考の型の違いにも気づけた旅となりました。

私は、積み上げ型。やっくんは、逆算型。

 

さて今回はどうかというと、

もちろんイデオロギー衝突の発生、まさに大激論をすることができました!笑

3年間社会人ライフを過ごして、互いに業界の色に染まったなって思いましたね。

まあそのテーマはおいおいにして、今回は旅の報告です。

 

我々が訪れた場所は以下の7つの場所です。

 

❶知覧特攻平和会館

❷薩摩英国館

❸万世特攻平和祈念館

❹トメ資料館(ホタル館)

❺薩摩藩英国留学生記念館

❻桜島

❼維新ふるさと館

 

我々の旅の当初テーマは、「特攻」でした。

 

なぜ時の為政者が「特攻」という無謀な攻撃作戦を選択をしたのか。

また、「死ぬことが予定されている人が、その前夜どうやって過ごすのか。」を知りたいという思いで、この旅を迎えました。

 

「英国」と名のつく施設については、私の完全な要望により実現されました。

しかしもう一つのテーマになるほどに意外にも大変よい学びとなりました。(これについては次の記事で)

 

この記事では、「特攻」について、記録したいと思います。

知覧特攻平和会館前に到着しますと、早速特攻機が展示されております。

周りの雰囲気は、献灯が立ち並び神聖なものでした。

 

平和会館には、特攻前の若者たちの遺書や遺品が展示されております。

まず彼らの遺書を見ると、気づくことがあります。

 

そこには敵兵への憎しみの言葉ではなく、国や親への感謝、役割を果たすことへの覚悟が綴っています。

 

特攻については、自発的なものか、強制的なものかは議論されているところですが、いづれにしても私はこれらの資料からは、

「命を投げうって祖国や家族を守る」という役割意識を隊員たちは思っていたのだろうと思いました。

それが大いなる理念によって、自らを無理やり納得させるものであったのかもしれないですし、本当に心からそういうことを思っていたのかはわかりませんが。

 

また、特攻隊員たちが家族との最後の別れの場となる富屋食堂(現在はトメ資料館)の資料によれば、お世話をしていたトメさん(特攻おばさん)には、最後の別れの時に「(笑顔で)お世話になりました。」とみんな言っていうわけです。

(トメ資料館にある、特攻隊員たちの出来事も心に残るものばかりです。)

 

*トメさんの言葉、「なぜ生かされたのかを考えなさい」も深く響きます。

何人も死んでいく若者を送り出したトメさんにしか言えない言葉であると思います。

 

どの資料を見ても、出撃前や出撃前夜の写真の隊員は、笑顔なんですよね。

 

この点は大変印象的でした。

私の拙い想像力では、死ぬことを予定された人であっても、「大いなる理想」を果たすための役割意識を持つことで、平常心を保てるのではないかという一つの仮説を持つに至りました。

人間の役割意識の強さは、心理分析において大いに着目していく必要があるのかなと思いました。

 

また、憎しみの言葉を綴らないなど、「最後まで美しく生きる」という思想がここにはあるのかなって思いました。

 

もう一つ、この特攻隊員の遺書から見るに、彼らの特攻は実は「攻める」ではなく「守る」戦いではないかと思いました。

私のもう一つのテーマであった為政者たちはなぜ「特攻」という無謀な攻撃作戦をしたのかに関連しますが、実は問いのたて方が誤りではないかと思った次第です。

 

為政者側の資料も見ると、彼らも若者を死なせる作戦に責任を感じており、終戦後には切腹をして責任を果たしています。

もちろん彼らの選択を現代の価値観からは肯定はしませんが、思い違いをしてはいけないと思うのは、「攻める」作戦ではなく、もう敗北が見えている日本にとっては、「国体護持」という最大の目的・誇りを守るための作戦であったということです。

 

万世特攻平和祈念館の説明ボードにも、特攻作戦を守りの作戦とありました。

 

「国体護持」やプライドがそんなに大事か!と思うかもしれませんが、当時の常識で言えば、国体を破壊される、つまり植民地になることは人口の20%が死ぬという言われていました。

当然日本人というだけで奴隷として過酷な労働などが男女に与えられることになります。

 

それだけは避けなくてはならない、というのが感情論抜きに為政者としての選択には当然あると思います。

しかし資源が少ない中で、いかに相手に最大の損害を与えることができるかということで、特別攻撃作戦(特攻作戦)ができたわけです。

今であれば無人ミサイルで相手に正確に攻撃できますが、当時はそのような技術はないので、相手に確実にダメージを与えるには、有人飛行機で出撃することだったわけです。

 

歴史に「もしも」は考えない約束ですが、結果論として日本は国体護持、凄惨な占領時代を迎えることはなかったわけです。

これが特攻があったからだと考えるには確かに材料は少ないのですが、最悪の占領時代を迎えないための特攻攻撃という作戦の経緯についてはまぎれもない事実としてあるとおもいます。

 

実は攻撃作戦ではなく、守備作戦であった。

ここについては認識の逆転があり、大いに勉強になりました。

 

特攻を考える上で、少なくとも隊員、為政者には「守るもの」あったわけです。

 

「守るものは何か」、というのは時代によって価値観は変わるものですし、今でもこれは議論されるべきだと思います。

 

今の価値観で言えば、為政者は国民の命以上に重要なものはないと言えますが、では本当にそれで良いのか、というのも一方で議論としてはあると思います。(命を軽視するわけではないです)

 

例えば尊厳死などの現代社会の問題には、美しく生きるという、命以上に美学的な生き方の論点も含んでいます。

 

特攻の問題は、簡単に「国家による殺人」、「彼らは英霊だ」という極端な二分論による賛否で語られるべきものではないと思っています。

 

ただし彼らが日本の未来の平和のために戦ったことは事実ですから、少なくとも先祖に恥ずかしくない生き方をしないといけない、また平和のバトンをしっかり受け取り、守り、次に渡すことは当然に求められる責務であると思った旅となりました。

 

それでは次の記事では、幕末の薩摩志士についてを記録します。