こんばんは。
この度は我々の旅の報告をしたいと思います。
2019年3月15日から3月17日にかけて、私とらじろうと、鉄人やっくんと鹿児島県を訪問いたしました。

この組み合わせの旅は、実に3年ぶりです。
3年前は社会人になる直前のチャリ旅でした。
当時の記録がありました。
【2016年2月6日付 ドライは夏だけにして 】
当時のチャリ旅は、これから迎える社会人ライフに向けて、夢を語り合ったチャリ旅となりました。
また記録にもありますように、二人の思考の型の違いにも気づけた旅となりました。
私は、積み上げ型。やっくんは、逆算型。
さて今回はどうかというと、
もちろんイデオロギー衝突の発生、まさに大激論をすることができました!笑
3年間社会人ライフを過ごして、互いに業界の色に染まったなって思いましたね。
まあそのテーマはおいおいにして、今回は旅の報告です。
我々が訪れた場所は以下の7つの場所です。
❶知覧特攻平和会館
❷薩摩英国館
❸万世特攻平和祈念館
❹トメ資料館(ホタル館)
❺薩摩藩英国留学生記念館
❻桜島
❼維新ふるさと館
我々の旅の当初テーマは、「特攻」でした。
なぜ時の為政者が「特攻」という無謀な攻撃作戦を選択をしたのか。
また、「死ぬことが予定されている人が、その前夜どうやって過ごすのか。」を知りたいという思いで、この旅を迎えました。
「英国」と名のつく施設については、私の完全な要望により実現されました。
しかしもう一つのテーマになるほどに意外にも大変よい学びとなりました。(これについては次の記事で)
この記事では、「特攻」について、記録したいと思います。

知覧特攻平和会館前に到着しますと、早速特攻機が展示されております。
周りの雰囲気は、献灯が立ち並び神聖なものでした。
平和会館には、特攻前の若者たちの遺書や遺品が展示されております。
まず彼らの遺書を見ると、気づくことがあります。
そこには敵兵への憎しみの言葉ではなく、国や親への感謝、役割を果たすことへの覚悟が綴っています。
特攻については、自発的なものか、強制的なものかは議論されているところですが、いづれにしても私はこれらの資料からは、
「命を投げうって祖国や家族を守る」という役割意識を隊員たちは思っていたのだろうと思いました。
それが大いなる理念によって、自らを無理やり納得させるものであったのかもしれないですし、本当に心からそういうことを思っていたのかはわかりませんが。
また、特攻隊員たちが家族との最後の別れの場となる富屋食堂(現在はトメ資料館)の資料によれば、お世話をしていたトメさん(特攻おばさん)には、最後の別れの時に「(笑顔で)お世話になりました。」とみんな言っていうわけです。
(トメ資料館にある、特攻隊員たちの出来事も心に残るものばかりです。)
*トメさんの言葉、「なぜ生かされたのかを考えなさい」も深く響きます。
何人も死んでいく若者を送り出したトメさんにしか言えない言葉であると思います。
どの資料を見ても、出撃前や出撃前夜の写真の隊員は、笑顔なんですよね。
この点は大変印象的でした。
私の拙い想像力では、死ぬことを予定された人であっても、「大いなる理想」を果たすための役割意識を持つことで、平常心を保てるのではないかという一つの仮説を持つに至りました。
人間の役割意識の強さは、心理分析において大いに着目していく必要があるのかなと思いました。
また、憎しみの言葉を綴らないなど、「最後まで美しく生きる」という思想がここにはあるのかなって思いました。
もう一つ、この特攻隊員の遺書から見るに、彼らの特攻は実は「攻める」ではなく「守る」戦いではないかと思いました。
私のもう一つのテーマであった為政者たちはなぜ「特攻」という無謀な攻撃作戦をしたのかに関連しますが、実は問いのたて方が誤りではないかと思った次第です。
為政者側の資料も見ると、彼らも若者を死なせる作戦に責任を感じており、終戦後には切腹をして責任を果たしています。
もちろん彼らの選択を現代の価値観からは肯定はしませんが、思い違いをしてはいけないと思うのは、「攻める」作戦ではなく、もう敗北が見えている日本にとっては、「国体護持」という最大の目的・誇りを守るための作戦であったということです。
万世特攻平和祈念館の説明ボードにも、特攻作戦を守りの作戦とありました。
「国体護持」やプライドがそんなに大事か!と思うかもしれませんが、当時の常識で言えば、国体を破壊される、つまり植民地になることは人口の20%が死ぬという言われていました。
当然日本人というだけで奴隷として過酷な労働などが男女に与えられることになります。
それだけは避けなくてはならない、というのが感情論抜きに為政者としての選択には当然あると思います。
しかし資源が少ない中で、いかに相手に最大の損害を与えることができるかということで、特別攻撃作戦(特攻作戦)ができたわけです。
今であれば無人ミサイルで相手に正確に攻撃できますが、当時はそのような技術はないので、相手に確実にダメージを与えるには、有人飛行機で出撃することだったわけです。
歴史に「もしも」は考えない約束ですが、結果論として日本は国体護持、凄惨な占領時代を迎えることはなかったわけです。
これが特攻があったからだと考えるには確かに材料は少ないのですが、最悪の占領時代を迎えないための特攻攻撃という作戦の経緯についてはまぎれもない事実としてあるとおもいます。
実は攻撃作戦ではなく、守備作戦であった。
ここについては認識の逆転があり、大いに勉強になりました。
特攻を考える上で、少なくとも隊員、為政者には「守るもの」あったわけです。
「守るものは何か」、というのは時代によって価値観は変わるものですし、今でもこれは議論されるべきだと思います。
今の価値観で言えば、為政者は国民の命以上に重要なものはないと言えますが、では本当にそれで良いのか、というのも一方で議論としてはあると思います。(命を軽視するわけではないです)
例えば尊厳死などの現代社会の問題には、美しく生きるという、命以上に美学的な生き方の論点も含んでいます。
特攻の問題は、簡単に「国家による殺人」、「彼らは英霊だ」という極端な二分論による賛否で語られるべきものではないと思っています。
ただし彼らが日本の未来の平和のために戦ったことは事実ですから、少なくとも先祖に恥ずかしくない生き方をしないといけない、また平和のバトンをしっかり受け取り、守り、次に渡すことは当然に求められる責務であると思った旅となりました。
それでは次の記事では、幕末の薩摩志士についてを記録します。