皆さんこんばんは。
もっと明るく面白い記事を書きたいとは思うものの、どうもその正反対の記事が多くスミマセン。それでも読んでいただく皆さんには本当に心から感謝しております。
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今日は、物語に登場する人物の「死」について。
前々作の「ラギ〜Lagi〜」では、とてもひどいラストシーンを設定したため、ある読者さんからえらい剣幕でお叱りを受け、それからは「火サス」的なラストは止めようと心に誓っているのですが……
どうも治らないですね。登場人物の「死」は結末としては安易すぎて工夫が足りない。だから避けたいとは思うのに、どうしても筆が勝手にという感じで書いてしまいます。
振り返ると、私が物語の中で登場人物を死なせた最初は、「青く澄んだ空の下で」のことでした。あの時は十七歳で事故死した友人の話を一部分に挿し込んだだけでしたが、それ以降の作品では必ず誰かが死んでいます。
※友人の事故死は相当部分が事実で、彼への鎮魂の意味を込めました。
「いつか幸せは向こうからやってくる」では主人公の不倫相手の男性が病死、そして「ラギ〜Lagi〜」では主人公の父親が事故死、女友達が……。それに続いて今回作でも「死者」を登場させてしまっています。
死を描くことの深層心理には「リセット願望」があるように感じています。私自身に、死にたいという願望はないのですが、人生をリセットしたいという願望は非常に強く、実際、付き合いのすべてを全部リセットして、誰も知らないところでやり直したいという衝動に駆られたことは何度もありますし、古い付き合いを一方的に断ってしまったこともあります。幸か不幸か一切合切から完全に逃れることはできないのですが。
また、物語を書き始めるとどこで終わらせようか悩んでしまうこともあります。登場人物それぞれにそれなりの思い入れがあると特にそうなります。それを打ち切るために誰かの死を設定し、場面を強制的に切ってしまう、そういう感覚もあるかもしれません。
ただ、誰かの死は誰かの再生であって欲しい、他方ではそう強く願っていて、自分自身では「ラギ〜Lagi〜」の最終話は嫌いではないのです。それまでどっちつかずの態度しか取れなかった主人公が覚悟を決めるわけですから、それなりに再生の意味はある。
そしてあの作品のラストシーンをマイルドにしたのが本作であると思っています。主人公と奈々は最後に幸福な未来を手に入れるのですから。