ジャーナリスト藤原亮司のブログ -23ページ目

取材4日目

ガザ市内と、集中的に破壊されたザイトゥーン地区、それに隣接する東部の町を取材。

こないだの侵攻の後を追いかけるような取材はあまり意味がないと思いながら、瓦礫が片付いてしまう前に一応見ておかないとと思いながら、あちこちを回る。

重点攻撃をされた地区はどこも、破壊があまりにもひどくて、建物は更地に近く、農場は元々グランドでもあったかのように、一面土。写真や映像になりにくいほど、何もない。

人を追いかけるような取材は、まだこれから。


明日はイスラムの休日の金曜日なので、通訳とドライバーにも休んでもらい、朝ゆっくり寝ることにする。

午後からは古い友人たちを訪ねる。

取材から帰るといつも一杯やりたくなるが、予定を繰り上げて慌しくエルサレムを出てきたために、酒を買うのを忘れてしまった。

昨年の夏の取材以降、1日も欠かさず飲んでいたので、久々の禁酒生活。今酒を飲んだらどんなに美味いだろうなと思いながら、コーラを飲んでいる…。


借りたアパートはジャーナリストやNGOが泊まる地区と少し離れているので、誰にも会わず、めんどくさくなくていい。毎日ネットが繋がる場所まで20分ほど歩くのが面倒だけど、散歩のつもりで歩く。

アパートの、壊れていた水道やシャワーもようやく修理してもらい、やっと部屋でだらだらと過ごすことができる。

明日は、寝坊しよう。


ガザ取材開始

2月3日、ガザ取材を始めて以来の古い友人と会う。

彼はガザでいつも暗示的なコメントやヒントをくれてきた、リアリストでシニカルで、ガザで一番の友人。

彼に会いたいがためにガザに通い続けてきたと言っても言い過ぎではない。ずっと仕事を持っていたので一緒にいた時間はごくわずかだったが、彼は昨年の秋に仕事を辞めて、今は仕事がない。

今回は、彼と取材ができることが何よりも有難い。


3日はガザ市東部のシュジャイヤ地区を中心に動き、今日は北部のベイトラヒアを歩き回る。

今日ベイトラヒアで会った、家を壊されてテントで暮らす男性は、「お前たちジャーナリストは、来ては話を聞いたり写真やビデオを撮ったりするけれど、それ以外に何をしてくれたことがあるんだ」と言った。

いつも偉そうにジャーナリストだ何だと言って取材をして、それっきり何もしてやれない。嫌な仕事だといつも思う。


まだ取材で感じたことについて話すのは早すぎるので触れないが、まずはゆっくりみて回る。先入観に囚われたり、ガザを知っているつもりになって、撮るべきものを撮らなかったりしないように。



ガザ入り

2月2日、予定より一日早くガザに行くことに決める。

前日にユダヤ人で以前のコーディネーターをしてもらっていた男性に連絡を取ると、選挙前は何があるか分からないから早くガザに行ったほうが良い、とのこと。それと、最近連絡を取り始め、今回も前後してパレスチナ入りしたジャーナリストの小田切氏の情報をあわせて、早々にガザに入ることに。

ホテルをキャンセルし、朝ガザに向かう。


ホテルは外国人殺到のためバブル、アパートも高くなっているが、知り合いの紹介で広々としたアパートを借りる。

ネットが繋がらないのが問題だけれど、たまにネットカフェに行くしかない。

とにかく、何ができるか。

日本人のフリージャーナリストも5人ほどいるらしいし、まだメディアもたくさんいる。

彼らが帰り、騒ぎが収まってから本格的に動き出すつもり。

それまでは、ガザをひたすら見て回ることにする。

騒ぎに振り回されず、人と違う視点でこの問題の本質や、ガザの人々が抱える問題の深さを見ないと、一人で大騒ぎしに来ているようなほかのジャーナリスト連中と変わらない。

「お前らにガザの何が書ける?」

エルサレム

2月1日、朝10時半頃にベングリオン空港に到着。

セキュリティに呼び止められることなく、空港を出られる。以前なら、しつこいほど何人ものセキュリティが、飛行機を降りるなりまとわり着いてきて、それが建物を出るまで続いたのだが、今回は一人も呼び止められずに出られた。

乗り合いタクシーのシェルート乗り場に行くが、満席にならないと発車しないために、1時間半もそこで待ち続ける。


12時半を回ってようやくホテルに到着。

おれよりも1日前に現地入りしているジャーナリストの小田切氏に連絡を取ると、ちょうどGPO(ガバメント・プレス・オフィス)でプレスカードの申請中とのこと。おれも今日のうちにGPOに出かけることに。

手続きに1時間ほど待たされたものの、あっけないほどすんなりとGPOプレスカードが発行された。

とりあえず、基本的にはこれさえあればガザに入ることができる。

一安心できた。


明日はエルサレムでいろいろと雑用を済ませ、明後日にガザに入るための唯一の検問所、エレズ検問所が開いていればガザに向かう。

今日は閉まっていたらしい。


とにかく、飛行機疲れたので今日はひたすら寝ることに。


出発

今日の20時20分の羽田発のANAで関空に向かい、20時半頃のトルコ航空でイスタンブール、翌日9時半頃にテルアビブの空港に着く予定です。


今朝8時ごろまで荷造りをし、少し寝て食事に。

超過料金が恐ろしいので、ヘルスメーターに荷造りしたトランクを乗せて無理やり計測すると、26キロ。

あれ?昨年夏のときよりもずっと軽い…。服とか間違いなく冬の取材のほうが重いはずだし、今回は夏と違って寝袋も入れているのにになんでか?


何か致命的な忘れ物をしているようで怖いのだが、ずっと寝不足といろんな作業に追われていたため、もう頭が働かず、いくら見直しても分からない。

集中して考えることができないくらい、ちょっとバテ気味。

「まあ、ええわ…」。それが現地での提出書類や機材でないことを祈りつつ、考えることを止める。


大事なものを忘れて、もし3日ほどして取りに帰ってきたら笑ってください…。