ジャーナリスト藤原亮司のブログ
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「手に魂を込め、歩いてみれば」、3度目鑑賞


「手に魂を込め、歩いてみれば」。3度目の鑑賞。


観るたびに、ファトマの言葉のひとつひとつが、これまで出会ったガザの人たちの言葉とかさなり、苦しい。


彼女がファルシ監督との対話の中で語る、「ガザの外の世界」への憧れ。自身の可能性を試したいという思い。

「当たり前の日々」を生きられる人間になりたいという、悲しずぎる切望。


それらを、ファトマはファルシ監督と話しながら、その望みは心の底からの本心であるにも関わらず、絶対に実現することはない「夢想」でしかないとも分かっている。


自身の先輩の世代、親の世代、祖父の世代、さらにその上のどの世代の人たちもが、若者であった頃に同様のことを望み、そして誰もが叶うことがなかったことを、当然ファトマは知っている。


監督からのカンヌ映画祭への招待も、その出来事自体には喜びを露わにするが、自身は絶対にカンヌに行くことなど、ガザを出ることなどできないと分かっている。


ファトマは、戦禍や抑圧のなかでも夢や目標を「持って普通に生きようとしている人」ではなく、それらを誰よりも強く持っているのに、普通に生きることなど絶対に叶わない、ということを知っている人なのだ。


だからこそ、ファトマはあれほど「海外に出て世界を見たい」との思いを語っていたにも関わらず、最後にファルシ監督に「いつか、ガザに来てほしい。家にも招待したい」と言ったのだろう。


いくら望んでも、ガザから出ることなど絶対に叶わないと分かっており、仮にガザから出られることがあるとすれば、それは「追放」であり、二度とガザには戻れないということだから。


そして、ファトマは殺された。外の世界を見たこともなかった彼女は、ファルシ監督とのビデオ通話で、わずかにその望んだ世界を垣間見ることができた。


彼女の言葉は、ガザのすべての人たち、すべての世代の人たちの心の内、そのものだ。

ファトマの言葉のひとつひとつに、かつて出会ってきた一人一人の姿が重なり、胸がかきむしられるようだ。




ドキュメンタリー映画「よみがえる声」鑑賞

ドキュメンタリー映画「よみがえる声」鑑賞。

在日朝鮮人2世で90歳になる映画作家・朴壽南(パク・スナム)さんが約40年撮り続けた映像を、娘の朴麻衣さんとともに再編した作品。

まあ、凄かった。image

在日コリアン一世、二世たちが日本の占領時代〜戦後なおさらされた差別や蔑視、また祖国解放によって却って奪われた、あるいは「日本の敗戦」によって棄てられた当然の権利、そしてその後も脈々と続き、今また「復権」しつつある排外主義…。

その歴史に、同時代に、公然と立ち向かい、記録をし続けてきた朴壽南さん。

その取材は、「丹念に」「緻密に」といレベルを遥かに超え、「執拗」と言っていい。

世の中には撮るべきものが尽きないのに、記録してもしても足りないのに、なぜ撮らない?なぜ残さない?と自身に迫るかのように撮り、取材を続ける姿が、まさに鬼気迫る。

この映画の冒頭で、娘の麻衣さんが朴壽南さんにカメラを向け、インタビューをするシーンがある。

これまで撮り溜めたフィルムをデータ化し、新たな作品(おそらく、この映画)にしようと、提案しているシーンだろう。

麻衣さんが、「だからね、せっかくの映像をもっと若い人たちにも分かりやすくして、見てもらえるように…」という意味のことを話すと、朴壽南さんはブチ切れる。激怒する。

私には朴壽南さんのその顔は、「何だそりゃ?分かりやすく?誰にも想像もつかないほどの苦難を生きざるをえなかった人たちの話を『若い人にも分かりやすく』だと?誰にも、取材をしてきた私にも、理解しようがないほどの出来事だったからこそ、私は何回も何十回も通い、何時間も何十時間も彼らの声を聞いてきたんだ!『分かりやすい話』なんかにして生半可に分かったような気になどならなくていい!」という心の底からの怒りに思えた。

そんな壮絶な辛苦に遭いながらも生き続け、そしてそれを朴壽南さんに語ってくれた人たちに対する「侮蔑」のごとき言葉を、私の娘のお前が言うのか、という怒りに。

凄まじい取材者だと思った。

https://www.nanagei.com/mv/mv_n2063.html

イスラエル産業界の浸透

ざっとこの10日間ほどのニュースやプレスリリースを見ただけでも、イスラエル企業が日本法人設立とか、イスラエル企業のテクノロジーやサービスの話題がずらり。

これほど経済界に浸透しているイスラエル産業。まだ、自国でそれなりの技術と産業を持っている日本ですらこれなので、中東やアジア、アフリカの国々がイスラエルの技術を頼り、その結果イスラエルや、それを支持するアメリカに何も言えないのは当然。

もしそんなことをしたら、提供されている技術やシステムを全部停止されるとか、修理や部品供給が止まるとか、更新してもらえなくなる恐れがある。

例えば日本でも、複数自治体が水道の管理システムにイスラエルの技術を使っており、また沖縄県副知事は駐日イスラエル大使のコーヘン氏との面談の中で、「沖縄県の通信事業にぜひイスラエルの技術を」と話した。

何かのときには自衛隊や海保、米軍などとも連携する沖縄県の自治体通信システムにイスラエルの技術を使うなど、情報を全部くれてやるようなものだ。
まあ副知事の発言は、沖縄を訪れたコーヘン大使へのリップサービスかもしれないが。

世界がシオニスト批判に動けないのは、政府というよりも経済・産業界の影響のほうがいまや大きい。

>「世界の犯罪集団から狙われる日本企業、先手防御の最新セキュリティ対策とは?」大阪開催 KELAグループActiveCyberDefenseセミナー
NIKKEI COMPASS 11月6日

>proteanTecs、GM & カントリーマネージャーに小嶋範孝氏が就任 新たに日本オフィスを開設
AGARA 紀伊民報 11月13日

>AI、投資分析に活用を 「市場理解の助けに」―イスラエル新興幹部
時事通信 外経部 11月13日

>株式会社ディー・ティー・ピー、イスラエル発のアパレル・小売業向けAI在庫最適化ソリューション「Onebeat」を提供するGoldratt Japanとビジネス協力に関する合意を締結
PR TIMES 11月17日

>アルマレーザーズ 、「TuneLifting(R)」「チューンリフティング(R)」の商標を日本国内で正式取得
PR TIMES 11月17日

>イスラエルRobotican社の防衛ロボティクス、日本市場へ本格参入
ドローンニュース 11月17日

水平社博物館にて









明治28年、今の奈良県御所市柏原の被差別部落に生まれた水平社。その団体設立の中心人物であった西光万吉の生家・西光寺は、水平社博物館の真向かいにある。


かつて「穢多、非人」「新平民」「部落民」と言われて、言われなく蔑まれ、差別された人たちがいて、それは今もなお、続いている。
あからさまな差別や、自由と尊厳の制限と闘ってきた、水平社の歴史を知ることができる。
本などでそれなりに知っていたつもりでも、自身がこのことにいかに無知なのかを思い知らされた。

死んだ動物の処分や、その骨や皮の加工などは、人間が生きる社会でなくてはならなかった。しかし、それを神道でも仏教(つまり、思想)で、「穢(けがれ)多いもの」とされたことで、「穢多」と呼ばれるようになる。

しかし、彼らが、その仕事ゆえに臭い、汚い、病気(感染症)の元など、「気分的に」はずっと差別されていたが、身分としてあからさまな社会的被差別地位に堕とされたのは、武士の時代からではないか。
そして、江戸期になって、その身分は固まる。

とはいえ、江戸期は浅草の穢多・非人頭の浅草弾左衛門と配下の穢多・非人が絶大な権利と利益を幕府から保障されていたように、「差別はされるが利はある」立場だった。
それが、権利も利益も奪われて差別だけになったのは、明治期以降だ。

まあ、歴史の講釈は置いとくけど、この資料館はとても勉強になったし、行ってほんとに良かったのでまた行きたい。
でも、「なぜ?」、「そこ、抜かすか?」と思う点もいくつかあった。

二つだけ挙げるとひとつは、水平社創設に関わった人たちへの解説が多すぎて、その時代、または今の時代の被差別部落でのナマの人々の声や姿がほぼ見えないこと。

もうひとつがとても引っかかったのだけど、展示の開始に「差別は人の心の(気持ちの?だったか)問題です」みたいな言葉から始まる。
いや、その「心」や「気持ち」を作るのは、システムや制度、教育や風潮、その時の為政者の方針などによる「社会」ではないのか?

展示をなんかの観光ルートや(バスのツアー客もいた)、子どもの社会科見学でも分かりやすくしてるのかもしれないが。
あれほど、人間の平等と尊厳の回復を謳った水平社の博物館が、今の日本でも、どの世界でも起きている差別や尊厳の制限・破壊と、彼ら水平社の歴史とが何も関連づけられていない展示になっている気がした。

水平社は、絶対的にその活動や存在意義で日本社会を変えてきたので、その創始者や活動、人権などの資料館として特化した、とんがったものにしたほうが、より「知らなかった人たち」にも心の揺れを提供できるように思うのに。
なのに、「SDGs」とかの話に、いきなり展示がすっ飛んでしまっている。

そして、今そのような差別や尊厳の破壊が続いている、パレスチナやウクライナ、あちこちの戦争や抑圧から、だいぶかけ離れてしまったことを、西光万吉らはどう思うのだろうかと感じた。

まさに今も、何十年も前から、ガザでは、パレスチナでは、その難民たちが行った先では、人権や尊厳のや制限、殺戮や暴力が行われているというのに。
今の社会の不条理から遠ざかった、過去を語るだけの歴史博物館になってしまうのは、あまりにも惜しい。

改めて、映画「ネタニヤフ調書」のヤバさ

案の定、この映画の背景をちゃんと見通せていないコメントや映画評が、わらわらと出てきている。それも、「知識人」や文化人、ガザ侵攻に反対する立場の人たちから。


繰り返し言うが、シオニストはネタニヤフやスモトリッチなど右派・極右であろうが、チャンネル13のような左派であろうが、パレスチナを支配し続けるという意思は揺らぐことなく同じなのだ。


確かに、現役の首相やその妻、関係者などを捜査できるイスラエルは、彼ら自身がいつも声高に言うように「民主主義国家」だ。

しかしそれはユダヤ人に対してだけであり、パレスチナ人どころか、自国民であるアラブ系イスラエル人にさえ適用されることはない。


かつてのナチスや南アフリカがしていた、自分たちと同じ側のものだけには民主的という「ヘレンフォルク民主主義」というやつだ。


ネタニヤフ政権やイスラエル国防軍、情報機関のシンベトがハマスに(PLOにも。ネタニヤフ政権だけでなく、ずっと)資金援助や情報提供をしていることなど、映画を作ったリベラル系「チャンネル13」の記者をはじめイスラエルのジャーナリストだけでなく、世界中のパレスチナ・ウォッチャーなら公然のこと。


別にイスラエルに限ったことではなく、「敵」の対抗組織をときに利用しながら、ときには逆の組織も利用するなど、どの戦争でも当たり前だ。


そんなものを持ち出して、「ネタニヤフの悪事を暴いた」、だからすごいドキュメンタリーだ、など笑けすぎて涙が出る。

しかも、警察(検察だったっけ)が追及してきたのはネタニヤフ自身の汚職でしかなく、彼が指示をしてやってきたパレスチナ抑圧や入植地拡大、ガザ侵攻における殺戮、さらには自国民をガザから来た戦闘員ごと殺させた「ハンニバル指令についでではない。


ネタニヤフの「悪者さ」を引き立たせるために、ちょろっとガザ侵攻や、パレスチナ人戦闘員に襲われたキブツの女性を登場させる。

その女性は「パレスチナ人と和平を望む」的なことを言っているが、そのキブツこそが、ガザを抑え込むための「屯田兵村」なのだ。この女性は、そのことさえ理解していないか、「ないこと」にしている。


もっと言うと、ネタニヤフ批判によく登場するオルメルト元首相こそが、その任期中に全米のユダヤ人社会、福音派シオニスト社会を飛び回ってパレスチナ占領固定化の資金集めをし、在米ユダヤ人や福音派シオニストらに「入植地建設のための不動産投資」をさせた張本人なのだ。

何を言ってんだ、この映画に出てくるどいつもこいつもは。


それを踏まえて観るなら、必見の良い映画だろう。イスラエルのユダヤ人が言う「和平」とは、シオニスト左派や、シオニストですらないイスラエル人の「良識派」の頭の構造がよくわかる「傑作」なので。




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