アメリカの学校が年度末に向かって転がっているこの時期。
息子が音楽を専攻しているので、同じように音楽専攻の大学生を応援したくなる。
この時期、課題の一つである「リサイタル」が目白押し。
何を演奏するか、プログラムを考え、練習し、伴奏者やアンサンブルを入れるなら音合わせもしていかなければならない。
大変なんだろうけれど、生徒にとっては自分の学んできた集大成的に、楽しみにもしている晴れ舞台でもある。
息子のリサイタルにはもちろん出かけてきたが、地元大学の、息子と同じ楽器を学ぶ「サクソフォンスタジオ」も気になる。
生徒のリサイタルは、基本一般にも公開しているので、地元の大学なら気軽に出かけて観ることができる。
「ああ、この子はこういう系統の曲が好きなのかな」とか「ほ~上手いなあ」などと楽しい。
でもこの生徒のリサイタルラッシュの時期、楽しいだけではなく、色々と淋しくもある。
自分の地元である大学に、全国から学びにやってきた生徒たち。リサイタルを最後に卒業して次の段階へと進むのに旅立っていく生徒もいるのだ。
何年も地元テキサス大学の生徒のリサイタルに寄ってきたが、「ああ、この子もこれで卒業してテキサスを離れるんだな~」などと思うと、応援しながら淋しくもある。
昨日はコロナ渦にテキサス大学の修士課程にやってきて、コンサート類がキャンセルされてきたため、私には生の演奏を聴く機会のなかったJ君のリサイタルに出かけた。
現在も活躍中の作曲家による、新しい楽曲を編成したコンサートは、音をじっくり一つ一つ聴かせるようなトーン。
「早や弾き」のような派手さはないが、観客はじっくりその奏でられる音楽を味わう。
↑写真の右下に写る後ろ姿の観客は、遠くからこのリサイタルを観に駆け付けた、J君のご両親。
自分も同じ音大生を持つ身。後ろの座席から見えるご両親の後ろ姿にも感じるものがある。
しみじみ味わわせていただいた演奏の後、J君に一言、素晴らしい演奏への感謝を伝えて帰ろうと言葉をかけた。
「これで卒業なんですよね。コロナでコンサートがなくて、やっと観られたのが最後なんて、、、」そう言おうとまず今年で卒業なのを確認したら「いえ、後1年ここにいます」と。
あ、そうなんだ。
コロナでコンサートや対面授業がない期間、休学扱いにしていた生徒もいて、こういう事があり得る。
「おお、何と!じゃあ次のリサイタルも期待してますね~」と、卒業していく学生を見送る淋しさが肩透かし状態?
うん、また観に行こう。
地元の大学に音楽校がある方は、是非学生のコンサートなどに足を運んでみることをお勧めする。
仕事で演奏以外の実務に追われたり、家庭に時間をとられたりする年齢に至っていない大学生は、人生で一番練習に時間を費やせる時であり、実際に1日かなりの時間を練習に費やす。
素晴らしい演奏だったり、まだ伸びしろのある演奏かななどと思ったり、きっと楽しめると思います。









