アレンジャーの持つ知識、感性などにより、曲がより魅力的に磨き上げられていく「職人の業」にうなった。
さて今日の私は、別の、音の職人芸にうなっている。
レコーディングと、サウンドエンジニアリングの職人業だ。
先日ここでも書いた、息子のイーストマン音楽校でのソロリサイタル。
その時に載せたビデオは、私が客席からホームビデオカメラに外付けのマイクを使用して撮影したもの。
子供の成長記録を録画する、そんな感じで、一応ハイビジョンでブルーレイディスクに焼く事はできるモデルではあるが、プロ仕様ではない。
そんなホームビデオでも、良いトーンで演奏できているのが録音できていて、満足だった。
そのリサイタルから2週間。
イーストマンから、演奏の録音ファイルが届いた。
早速聴いてみてビックリ。
私の録画したビデオとは、音が全然違う。
私のものは、客席で録ったものなので、ホールに反響した音が採集されたのに対し、公式録音は、演奏者の真上辺りに複数設置されたマイクで収録されているという違いもあるのだろう。
機材も、プロ仕様のものが使われているはず。

が、それより、大きな違いを生み出しているのは、エンジニアの職人技だ。
録音された演奏が、ノイズカットなどのほか、調整がほどこされている。
それを確認したのは、演奏の最後の部分。
息子が「あと一呼吸伸ばしても良かったな」とコメントしていたのだが、確かにビデオでは息子がサックスの音を閉めたあと、ピアノがわずかに遅く終わる。
公式録音のファイルでは、その部分が、綺麗に同時に終わるように処理されている。
なるほど。さすが一流音楽校。
ただ記念に録音してあげました、ハイどうぞ、というわけではなく、きちんとした作品に仕上げてあるのだ。
ちなみにコレが、私のホームビデオ録画。
(曲は00:45辺りから)
エコーがかかって聴こえるけれど、息子はコレを計算して吹き方を調節したという。つまり、エコーがかかっているこの状態で客席に聴こえていたのなら良し、という計算どおりだったらしく、この音には満足していた。
そして今回届いた、イーストマンの公式録音がコレ。
音がダイレクトにターゲットとされていて、きれいでストレート。
ただ、広がりにかけるというか、無機質っぽさを感じなくもない。
ビデオの録音の方が、音が感情豊かに聴こえない?
息子自身、公式録音を聴いて「意図した音と違う」と少しショックだった様子。
コンサートホールの響きが良いので、演奏する際に抑え気味にしたのがそのまま録音されていて響いていない、とかそういう事らしい。
が、息子のそんな気分もすぐに転換。
今回息子が演奏したクレストンのソナタは、音大のサックス学生なら、必ずと言って良いほど課題になる曲目。
動画サイトには、学生、教授、プロ、様々なこの曲の演奏動画がひしめきあう。
その中の一つ、クラシック・サックスの草分けと言われるジャン・マリー・ロンデックスの演奏を見つけた息子。演奏スタイルが、自分のビデオとよく似ているのに気がついた。
他のプロの演奏は以前から動画で聴き込んではいたが、ロンデックスの演奏は今日見つけたばかりで、けっしてそのスタイルを模倣して演奏したわけではない。それなのに似ている。
トップレベルのプロの演奏に似ていて、比べてみても、自分の演奏もそう悪くない。
ガッカリした気分が逆転したらしい。
トップレベルの音大の職人芸な録音に、客席での聴こえ方とは違った良さを引き立たせてもらえたようで、うなった。
音の職人芸。
「さあどうだ!」と、その技を見せつけられた思いだ。