読んでいて、そのアルバイトの話を聞いた17才の風景が蘇った。
彼女とは軽音楽部の仲間で、「なんか楽しそうじゃん」と弾けないギターを抱えて入部した私と違い、音楽の基礎もちゃんとマスターした白魚のような手のピアニストだった。
そんな彼女が発掘のバイトをしていると聞いてイメージが合わずにいると「考古学専攻とかそういう学生に頼むと、価値がわかるからそっと持ち帰られたりしかねない。遺跡がなんだか解らない私のような者のほうが向いていると言われてね」と説明された。なるほど一理あるなと納得。
その話をしている、高校の教室の風景が、頭に蘇ったのだ。
その夏、私はと言うと、京都の和菓子屋でバイトの夏。
和菓子屋は、大旦那とその息子夫妻が奥で自家製で饅頭やら求肥菓子やらを作り、導入されていた機械で個包装。私は店頭販売を担当し、もう一人のバイトである大学生男子が京都駅デパート店舗に運搬するという形だった。
和菓子屋の店頭の陳列棚。
その前で、お客様に対応する風景。
振り向くと、大きな機械が鎮座し、たまにそれがガシャガシャと音を立てながら、饅頭を包装して行く。
その和菓子屋バイトを毎年のように思い出してしまう日がある。
8月16日だ。
その夏の8月16日、母校の後輩が海の事故で亡くなったニュースが流れた。
仕事中に突然、店のおやじさんから「あんたのとこ、大変だね」と声を掛けられた。
その日は京都では大文字焼きの日。
お盆に戻ってきたご先祖様を送り返すお見送りの行事だ。
そしてその夏のその日は、もう一つ、エルビス・プレスリーが他界したニュースが駆け巡った日だった。

プレスリーのファンだったというわけでもないが、後輩の事故、大文字の送り火、エルビス・プレスリー、京都の和菓子屋、そして高校生だった私、それらが絡まって、8月16日という日付で思い出してしまうようになった。(このブログでも何度か同じ話を書いているはずだ。)
もうかなりな昔で、想い出は求肥に包まれたように白いモヤがかかり、鮮明ではない。
高校生だった、バイトの夏。
BGM「路地裏の少年」浜田省吾
♪アルバイト電車で横浜まで