TH3 950th RUN T | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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本日のTシャツは、TH3の「950回RUN記念」Tシャツ。今日4月6日の日付も入っているということで「カレンダー・シリーズ」。

このシャツ、前面のプリントが業者にミスでズレている。初版のものはこのようにズレて納入されたのだが、2版目のズレていないバージョンも存在する。
だけど私はこのズレているバージョンの方が好きだったりする。
色合いが違うからだ。
2刷目のものは、プリントの色もシャツの色も、これより濃い。シャツの紫が、こちらの方が白が混ざったような軽い紫で好きなのだ。

昔、友人の買物に付き合った際、彼女がプラム紫と紫のどちらのシャツを買うか散々迷っているのを見て「どっちも紫なのに何故そんなに悩む?」と思った事があった私なのだが。。。

さて、この紫色
仏の世界では、位の高い僧侶が紫の衣をまとう、と聞いた。古来、紫は高尚な色だったようだ。

高尚な色だったはずの紫だが、私にはこの色に小学校低学年の時の担任T先生の思い出がつきまとう。
そのT先生は小学校の先生だったので全教科を担当していたが、もともと専門は美術だった。それで美術には力を注いでいたし、放課後に美術教室なども開催していた。
絵を描くのが好きだった私はその美術教室にも通った。

だがこの先生、当時父母の間では「ヒステリックに怒りすぎ」と評判だった。そして確かに、私らはしょっちゅう怒られたり文句を目撃したりしていた。
例えば、ある日学校の校門の道の向こう側に車が停車してあるのを見たT先生は、私達子供に向かって「まったくこんな迷惑なとこに駐車してっ!みんなこの車のナンバー覚えといて!」と文句を口にした。素直なO君などはその後筆箱のビニールに「えっと、スバルの***」とナンバーを書き込んでしまったりしていた。。。というように。

特に美術にうるさかったこの先生。ある日美術教室でみんなが絵を描き終わったあと、2人ほどの男の子が教室に駆け込んできた。「おい!T先生が僕らの絵を燃やしているぞ!」
なんでも、生徒達の作品が「どれもこれもなっちゃいない!」と御気に召さなかったようで、校庭の隅で「キーッ!」と怒りながら燃やしているのだと言う。

話が回り道になったが、本題のこの先生との「紫の思い出」へと向かう。

美術が専攻だけに、先生は絵に関しては特別の評価判断があったようで、ある日私の母が「娘のこの絵、悪くないと思うのですが何故あなたの評価が低いのか?」と尋ねたところ、先生は「お子さんの絵、袴が全て白と黒です。」
えっ、袴って普通白とか黒では?
「子供ですから、通常の概念を捨てて袴を赤や青やピンクや・・で描かないとダメです。」

・・・・というように、コンテンポラリーな感覚を持ったこの先生。絵を描くのに既成概念の枠から外れ創造の世界を旅せよというような思想を持ちながらも、相反的な独自のルールも持ち合わせていた。
「紫は病気の色だから、使ってはならぬ」

ある日、美術の時間にA君がそれを忘れて紫を使ってしまった。
「ほら!紫は使わないように!紫は病気の色なのよ!」という先生に、A君が言った。「でも先生、紫色の服着てますよ。病気なんですか?」
そうなのだ、事実その時先生は紫のスーツをお召しだった。
A君の指摘に、先生はムッとしたような怖い表情で一瞬かたまり、クスクス笑いの場になった教室を勢いよく出て行き、数分後違う色の服に着替えて「フン!どうよ文句ある?」という顔つきで教室に戻ってきた。

服まで着替えるか~。
大人気ないのか、主張を通すためにスジを通したのか・・・
とにかく今でもその時の教室の様子や先生の顔つきなどがおぼろげながら記憶にすっかり定着していて、紫というと、あの時の先生を思い出してしまう。

先生は紫が何故そのような色だと言い切るのかの説明はしてくれなかった。
なので、このエピソード事自体は忘れられないが、私の紫に対するイメージには影響がない。
私のTシャツコレクションにも紫のシャツは複数存在する。

「スター誕生」を勝ち抜いてデビューした「藤正樹」が、藤色の学生服を衣装にしたのを見た時は「変、かも・・」と思ったけどね。
hujimasa

どうやら今も私は「袴は黒!学生服は黒!」とちっとも既成概念から旅立てていないのかも?ね?