THE MODS レット・イット・ロックT | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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12月7日。パールハーバーの日である。
米国に住む日本人としては、あまり触れたくない歴史である。
ハワイにあるパールハーバー記念館は、日本人のみ入場が無料なのだそうだ。「へ~タダでラッキー!」などと無邪気に思ってしまう人もいないとは言い切れない。だが、この「日本人は見学無料」の意味を考えると、胸が痛くなる。

パールハーバーを映画化したアメリカ映画「パールハーバー」(2001年)があるが、図書館にあって毎回借りようかと思いつつなんだか見るのを躊躇してしまい、まだ観られないでいる。

同じパールハーバーを題材にした日米合作映画に「トラ・トラ・トラ!」(1970年)がある。
tora
父はこの映画が大好きだった。
私の父は、兄が戦死したことに憤りを感じ空軍に志願入隊。訓練を受け飛行機に乗って突撃できるようになり、さあ出陣まじかという時点で、所属基地に飛行機が足りなくなり「**へ行って自分達が乗る飛行機を輸送してこい」という命を受け飛行機を調達に出かけた途中で終戦を知った。・・・と聞いている。
ほんの少しの差で「最後のカミカゼ」にならずに済んだということだろうか。

だが、出陣を目前に突然事態が急変してしまった事で、父にとっては「実現しなかった目標」がどこかに住み着いたままになっていたのかもしれない。
父はスケッチブックに軍の飛行機の絵を鉛筆で描いていたり、木片をナイフで削ってやすりで磨いて飛行機の模型を作ったりしていた。どれもとても丁寧に描かれ、作られていた。
父が亡くなった時、日本軍飛行機の写真集の父が乗っていたという飛行機のページを広げて棺に納めた。

私が米国人の夫と結婚すると決めた時、父は既に脳梗塞の後遺症で意思の疎通ができない状態で入院中だった。父は私の結婚相手がかつて攻撃を夢見ていた米国人であることにどんな思いだったのだろうか。父が元気だったら、夫を紹介したら何と反応したのだろうか。
その答えは永遠にわからないまま、こんどはそれが私の中に住み着いている。

本日のTシャツは、「TRATRATRA」(多分トラトラトラと読む)が入っている、ザ・モッズの80年代初期のTシャツ。
写真左側の「FILE JAPAN」は当時モッズが所属していた事務所名。
一緒に写っているのは同柄のバンダナ。背側のサインは、モッズのメンバーにそれぞれサインして貰った直筆。

映画「トラ・トラ・トラ」も実は最後まで観た事が無い。今度ちゃんと観てみよう。
ちなみに「トラ・トラ・トラ」の意味は、真珠湾攻撃の成功を伝えた電信文で、「ワレ奇襲ニ成功セリ」という意味なのだそうだ。