ラジオ局 KASE101 T | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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10月1日、10・1、101、という事で、本日のTシャツはオースティンの周波数101ラジオ局「KASE101」のTシャツ。
この局はカントリー・ミュージックの専門局。

テキサス、オースティンはやっぱりカントリーが似合う街かなと思う。
そして、オースティン在住で有名なミュージシャンといえば、ウィリー・ネルソン。
そのウィリー・ネルソンの記事が新聞に出ていた。

といっても記事の主人公はウィリーではない。記事の主人公は彼のお姉さんボビー・ウィルソンさん。
ボビーさんはずっと弟ウィリーのバックバンドで活動をし続けてこられた。バンドとして活動する以前から、ウィリーが4才、ボビーが6才の時から70年以上ずっと一緒に演奏を重ねてきた。
そのいわばウィリーの裏方的存在だったボビーさんが、今週76歳にして初のソロアルバムをリリースされる。新聞記事のタイトルも「ウィリーと演奏してきて70年、「ボビー姉さん」がスポットライトを浴びる番」と。

この記事がなかなか興味深かった。

ウィリーとボビーは30年代の恐慌の時代に10代の両親の元に生まれる。2人は祖父母のもとで育てられ祖父がウィリーにギターを教え祖母がボビーにピアノを教えた。
ウィリーが7才、ボビーが9才の時、祖父は他界。6才で譜面が読めたボビーはウィリーとともに地元の教会で演奏してまわるようになる。
ボビーは教会でであった5つ年上のバドと16才で結婚。バドはボビーを含むバンドを結成し、23才ですでに3人の子供を持ちながら演奏活動を続けた。
しかしお金もなく夜に音楽活動をする若い夫婦の生活に疑問を持った夫バドの両親が、「この夫婦の育児に問題あり」と3人の子供の養育権を裁判で勝ち取ってしまう。
子供と離されたボビーは、好きな音楽を諦め経理の学校に通いハモンドオルガンに勤務することになり、1年後には子供たちを取り返す。
その後バドとは離婚し、別の男性と再婚し離婚。60年代後半に3度目の結婚に落ち着く。

その頃、ウィリーは作った曲がカバーされヒットと音楽で躍進し始めていた。
73年にウィリーがレコーディングでピアノが必要になり急遽ボビーを呼ぶ。予定の1曲を収録し家に帰ってボビーにウィリーから電話がかかってきて、子供たちも手が離れていたボビーはそれ以来ウィリーのバンドに加わることに。
以来2人はずっと一緒に音楽活動を続けてきたというわけだ。

76歳のボビーは言う。「初めてピアノを手にした時のことを今でもよく覚えているの。その時、ああ、これで私は一生淋しくはないわ、と思ったの。」
だが人生には山あり谷あり。83年には息子2人を白血病と自動車事故で相次いで亡くし、彼女自身も心臓を患いペースメーカーを移植する。
また「トラブルメーカー」ウィリーとの活動が起こす山や谷も。
76年、ウィリーはボビーに850万円ほどのピアノをプレゼントする。が90年に、税金を支払って来なかった事で税務局がウィリーの財産を差し押さえた際に、このピアノも税務局に支払わねばならない17億円のため競売にかけられる事に。(この一件は、2人に友人が競売でそのピアノを購入し、ボビーにプレゼントしなおしてボビーの元に戻る。今回のソロアルバムもこのピアノで演奏されているそうだ。)
また、昨年ウィリーがドラッグで逮捕された際も、同じツアーバスに乗っていてとばっちりを受けることになったり。

そうやって70年間ピアノを引き続けてきたボビー。
弟ウィリーの後ろから、ステージの中央に躍り出る。ピアノのインストの初ソロ・アルバムのタイトルは「AUDIOBIOGRAPHY」。音の伝記。
明日と明後日は、2人そろって全米ネットTVの人気トーク・ショーに出演も。楽しみだ。

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左上が現在、右下が73年のウィリーとボビー。左下の写真は50年代後半~60年代初頭に、ハモンドオルガンの仕事でオルガンをデモンストレーションしていた頃のボビー。