Margaritaville T | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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本日のTシャツは、ニュー・オーリンズのカフェ「マルガリータ・ビル」Tシャツ。
このカフェは、ミュージシャンのジミー・バフェットの店で、ニュー・オーリンズの他、オーランドやラスベガスなど全米に5店ほどがある。一緒に写っているのは、私が唯一持っているジミー・バフェットの、1971年のセカンド・アルバム。

さて、ニュー・オーリンズに来たなら見ておきたいものが2つあった。
一つは昨日も書いた「ジャズ・プリザベーション・ホール」。住所を確認して再度探しに行く。
あった。記憶のとおり、見過ごしてしまいそうな小さな「小屋」。
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TACOSの看板の店の隣の茶色いのがそのホール。ここでジャズの生演奏が聴けるのだけど、夜のみでしかも毎日はやっていない。昼間に見ると、こんな、なんでもない古ぼけた場所。
27年前、バックパックを背中にグレイハウンド・バスで独り、ここを訪れた。中には大きな扇風機があったのを覚えているが、今でもあるようだ。
再度ここの前に立っているというだけで、なんとなく感慨深い。

そしてもう一つが、ハリケーン・カトリーナの被害が著しかった地域。
衝撃的な被害を受けた街のTV映像を目にしてから2年近くがたったが、復興がどの程度進んでいるのか実際に見ておきたかった。

この辺りだろうかと車で周ってみる。いまだに放置され当時のままの姿の家もあれば、建て直しされた家、家にRVトレーラーを横付けし、そこで生活しつつ家の修理をしているらしき家、などが混在する。
戻ってきて生活している人々もいるのだけど、そのままにされた家は窓が割れたまま、壁に水位の後が残ったままだったりで、今見てもハリケーンの怖さが伝わってくる。
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レスキュー隊が取り残された人がいないか捜索した際のマークが今だに残っている、家主が戻ってこない家々が、このようにひっそりと並ぶ。

軍のジープが通りかかったので聞いてみたところ、このような空き家から建材(パイプなど)を盗んでいく盗難が発生しているのでパトロールを続けているとのこと。
そして、私が見た地区は、人が戻り始めた「ましな」地域で、そこから西側に行くと、「放置された家が軒並み並び、破壊された物などが処理されずにまだ山積みになっている、ひどい地区」があるのだそうだ。
だがそこは「盗みやトドラッグの売買の場所になっており、危険な状態」だと言われたので、行ってみるのはやめておいた。
彼らも「この町がもとのように人々が生活する街に復興するには10年ほどかかるであろう」と語った。
確かに2年が過ぎても、街はまだまだハリケーンの爪あとがくっきり残されたままである。

立て直された家も、不幸中の幸いで立て直せた人々とは言い切れない。中には、ローンが払えなくなり銀行に没収され、投資家によって立て直され売り出されている家、などもあるに違いない。

ハリケーンから逃れ、テキサスをはじめ全米に非難していった膨大な数の人々は、今はどうしているのだろうか?
オースティンの南にある街サン・アントニオに住む人から聞いた話。サン・アントニオにも大勢の人々が避難してきて、そのままニュー・オーリンズには戻らない人々も多い。サン・アントニオにあるTIOYOTAの工場が、そういう人々を多く雇用採用したらしい。

ニュー・オーリンズの街の復興も進んで欲しいが、ハリケーンで街を後にした人々、廃墟の家々の持ち主達が、ニュー・オーリンズの戻ってくるにしても、新天地で生活していくにしても、生活の建て直しができている事を願ってやまない。

名物ケイジャン料理の「ジャンバラヤ」と「ガンボ」「ソーセージ」を食べた後、ニューオーリンズを出発。
ルイジアナ州からミシシッピ州、アラバマ州を縦断し、フロリダ州の州都タラハシーに夜10時到着。
ここで2泊目。ここから約4時間ほどで、明日の昼には目的地のオーランドにようやく到着となる。 <続く>