96 アトランタ・オリンピック T | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

100

本日でTシャツ、100枚目。

「100モノ」Tシャツは、4月16日に書いた「ボストン・マラソン100回大会記念Tシャツ」、5月12日の(メインのTシャツではないが)写真の中のタンクトップ「ダンスキン・トライアスロンの祝100レース」、6月5日のハワイ「100%パラダイス」Tシャツなどが既に出ている。
もう「100」関連のものは手持ちにはないだろうと思ったが、あるのだ、これが。

96年の「アトランタ・オリンピック記念Tシャツ」。このアトランタ五輪は、近代オリンピックの100回大会だったのだ。
Tシャツのバック。プリントには、五輪の輪と「Atlanta96」の文字の間に、聖火台の支柱のように見えるように「100」の文字が書かれている。

93年だったか、ニューヨーク・シティ・マラソンを走った帰りに、アトランタに寄った。その時、ちょうどオリンピックの本部が設置されたところだったので訪ねてみた。
ビルのロビーが、オリンピックの広報広場になっていて、オリンピック関連の写真等が公開されている。
眺めていると、係の方が「ハ~イ!何か質問があったら聞いてくださいね」と声をかけてきたので「オリンピックのマラソンコースはどこを走るのですか?」と尋ねてみた。
「コースはまだ完全に決まったわけではないですが、ここを通って、ここ、ここで、このオリンピックスタジアムでゴールの予定です。」と、地図上を辿りながら、説明していただいた。
なるほど。
「マラソンに興味があるのですか?」ときかれたので、つい冗談で
「ええ、そのコースを走ることになるかも知れませんからね。」と笑って言ってみた。「今日はニューヨーク・マラソンを走った帰りに寄ったんですよ。」
「えっ!もしかして、入賞した日本の選手?何位でしたっけ?」
しまった!ちょうどそのNYCマラソンでは、日本の山本佳子選手が3位に入っていたのだ。冗談が通じてないかも。。
あわてて自分のゴール・タイムを言うと、「ああ、それでは今からも・の・す・ご・くトレーニングしないといけないですね」
ほっ、偽オリンピック・ランナーにならずに、冗談だとわかったいただけた。

このTシャツは、その時アトランタで購入したもの。
走るのに丈が長すぎるので、カットオフした。切りっぱなしだが、少しカールするだけで、布地がほつれてはこない。

その後、アトランタのラマソンは、有森裕子、浅利純子、真木和の3選手が走り、有森裕子選手が銅メダルを獲得した。
私はもちろん、アトランタ五輪のマラソンコースにはいなくて、秋田県にいた。
同日、秋田で開催された「アドベンチャー・トライアスロン」に出場したからだ。
自分のレースが終わったあと、宿のオーナーさんの部屋でみんなでオリンピックの女子マラソンTV観戦をさせていただいた。
みんなで好き勝手に、ランナーの解説をしたり、応援したり、観戦は盛り上がった。そして有森さんの銅メダルで感動。

いやあ~よかったね~と盛り上がっているところに、トライアスロンの表彰式に出ていたという方がもどってこられた。
そして「あなた、表彰式来なかったね。これ代わりに受け取ってきてあげたよ」
そういって手渡されたのは、銅メダル・・ではなく、自転車用に取り付けられるサンイクング・バッグ。「えっ?何?」
「あなたね、ビリから2番目のブービー・メーカーでゴールしたから敢闘賞で表彰されたんだよ。それが賞品。」
。。。。。ブービー・メーカー

ちなみに、その時ブービーだった女性も、同じ賞品を贈られていたという。
その方の後姿を見て走ってた時間がかなりあったので、顔はわからないが、後姿は目に焼きついていた。
その翌週、私は地元のトライアスロン大会でボランティアをした。見ると、なんだか見覚えのある後姿が?
「あの、もしかして先週秋田のレースに出た方?」と声をかけてみると、やはりその彼女であった。
う~ん、2週続けて参戦か~。私は「まずい!ボランティアなどしてる場合ではない。来年は私がブービーになってしまうぞ」と少々焦りながら、こんなところで再会したことと、彼女の後姿を鮮やかに記憶していたことに驚いたのであった。

アトランタ・オリンピック。そのように、私にはやはり女子マラソンが思い出深い大会であった。